nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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星稜高校 野球部グラウンドに行ってきた!

星稜高校は、私が22年前、高校球児だったころから、全国に強豪校として名前をはせていた。

それだけではない。

高校野球の歴史上最高の試合とされる箕島との一戦↓

https://m.youtube.com/watch?v=7gniu7XvNtI

 

松井秀喜 5敬遠↓

https://m.youtube.com/watch?v=7Ul-42ICiB8

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何故強いのかは、石川県で生まれ育った少年が甲子園やプロ野球を目指すには、星稜に入るしかないというのが大きい。

そして金沢市で盛り場といえば、香林坊ぐらいで、星稜高校の周りは、野となり山となりで、東京と比べると誘惑が無さ過ぎる。

飲食店すら、ほとんどないじゃないか!

夢のためにストイックに努力出来る環境が整っていると言えるだろう。

 

 

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泉鏡花記念館 東茶屋街 夜は蛍観賞

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泉鏡花記念館の所在を知ったのは、youbride で婚活している時だった。その女性は、成城生まれで、幼稚園の頃から泉鏡花の夜叉ケ池などを読まされていたという。

彼女が生まれてすぐに、母親が脳の病気になって、寂しい思いをして育ったから、子供が物心つくまでは、専業主婦でいたいというものだった。

電話で話して、それっきりになってしまった。メールでやりとりしているだけで楽しかったから、そのままでも良かったのだ。

電話でいったいこの僕の何がわかるというのだろう。

 

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浅野川の梅ノ橋付近にある「滝の白糸像」。これは、泉鏡花の代表作のひとつ『義血侠血』に出てくる女芸人をモチーフにした像です。 『義血侠血』は金沢と富山を舞台とした、水芸の女芸人と法律家をめざす苦学生の切ない物語。梅ノ橋はその物語の中で、二人が再開する場所として登場します。

ボタンを押すと、白糸像の手先から水芸と称して水が噴き出る。女生徒が何度か押しては楽しそうに笑っている。

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泉鏡花が幼い頃、通っていたお茶屋街↑

貧しさゆえに苦労している女性を多く見ていたのだろう。

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夜は蛍を見に行く。

時々小さい星のような光が空中に揺れてはとまる。小川でザリガニをとっているおじいちゃんに出くわした。ザリガニは蛍の卵を食べるから、来年のために、ザリガニをとっているそうだ。

今年だけでも800匹はとったということである。言っているそばから、つかまえて沿道の砂の上に投げて見せた。茶色のこうらをした小さなザリガニがひっくり返って、脚をバタつかせている。

「もう少し大きくなると、オレンジ色になるんだ」

と言うと、つかまえて川に投げ返した。

「戻して大丈夫なんですか?」

「潰しているから大丈夫!」

 

日夜、人知れず、努力している人がいてホタルも観ることができるのだ。人為を建設するための努力が学問の歴史と聞いたことがある。

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三島由紀夫『美しい星』武家屋敷 西茶屋街 ニュー狸

「流れに沿うた石垣や築泥のほとりに、かすかに芽吹く1本の柳を控えた石橋があった。水の中の水草の緑のなびくのばかりが、目に新しい。

 橋をわたる。曲がりくねった小路に入る。家家はみな古く由緒ありげで、築泥の塀を雪から守るために、竹竿を横にかけ、そこに藁むしろを懸け連ねたのが、もう春だと言うのにそのままにしてある。塀ごしに林檎の樹なぞが見える。雨は家々の釉を施した漆黒の屋根瓦を光らせている。それぞれ門の中に、しんしんと雪構えの立木をこもらせた小さな前庭がある。小体な長屋門もある。櫺子窓もあるが、中は暗くて人のいる気配も見えない。」

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実際、武家屋敷には、人が暮らしている。代々地元で名がある人なのだろうか。

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「京阪風の造りの家が多い石坂の花街は、細い川より上が花柳界で、川より下がむかしの赤線という風に、重一郎のような旅人の目にもはっきりと分れて見えた。その合間合間に、小さな八百屋だの魚屋だのがあり、この時刻では、そういう自然の物産を並べた店先ばかりが生々と見えた。文房具と貸本と駄菓子とをあわせて商う店もあった。日の当った迂路の半ばに、二三人の子供が石蹴りをして遊んでいた。幾度か小さな怪我をしたその傷だらけの膝頭が、石を蹴るとき、日を受けて生姜いろに光った。

 元の赤線地帯は、バアやキャバレーや旅館に姿を変えていた。しかし以前のままのタイル張りの玄関に、旅館の暖簾ばかりを申訳にかけたような、中途半端な改造が、やその一画を一そう怪しげなものにしていた。重一郎は俄かにアメリカ風な名前をつけたキャバレーや、キャバレーまがいのバアを一軒一軒のぞいたが、どこもまだ大戸町を閉ざして人影がなく、まだ雨の滴をしたたらしている色の落ちた造花の桜や、雨に汐垂れた裸女の「桜まつり」の絵看板などが、雨後の西日を受けて燦爛とした。

 まれに風呂がえりらしい髪を高く束ねた女が、男もののナイロン・ジャンパーの襟から見返って、重一郎を胡散くさそうに眺めたりした。その遠ざかる下駄の音が、一歩一歩粒立ってきこえるほど静かであった。」↓

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三島由紀夫の表す情緒は伝わってくる。ネットでは、夜中、売春を行っているのは、写真に写る黄色の看板の店らしい。寂れてはいても、確かに赤線地帯であった雰囲気は残っている。

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芭蕉翁來訪地小杉一笑墓所

つかもうこけ我泣聲は秋の風

昭和42年(1967年)8月、一笑の子孫が建立。

小杉一笑

 一笑は金沢における蕉風の先駆をなした俳人

 元禄2年(1689年)旧暦7月『おくの細道』で金沢入りした松尾芭蕉は、一笑が前年の霜月6日死去したことを知り、慟哭、

 22日、ここ願念寺で催された追悼会で芭蕉

   「塚も動け我泣く声は秋の風」

と、その悲しみを詠んだ。

 この前々年(貞享4年)、近江の人尚白が撰した『孤松集』に一笑の句が194句も入集されているほか、計378句の遺作が伝えられている。

 芭蕉もその才能に最も注目していた俳人だったが、会うこともなく他界、享年36歳。

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↑「タクシーは香林坊の雑沓を避けて、長土塀づたいに犀川へ向かって南下し、やがて犀川大橋を渡って、川の南岸の名高い宿に着いた。川を見下ろす茶室風の部屋は、すでに温められて、香が焚かれていた。」

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「狸茶屋という店で小さいステーキの午餐を摂った。」

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身が柔らかく、タレも自家製といった本格的な洋食屋さんといったところだ。

 

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ナンバースクール中毒の女性に一年半ぶりにメールしてみた!

以前、ツヴァイの婚活で2度デートしたことのある女性にメールをした。2年近く前になる。

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「こんばんは!
お久しぶりです。
連休を利用して、金沢まで行ってきました。
兼六園に入り、大きく勇ましい日本武尊の像の下に立つと、中原中也が、幼い頃を懐かしんで、ここで涙を流した気持ちが伝わってくるようです。時は流れていくものですね。
城壁に沿って歩いていくと、四高記念館がありました。旧制一高の展示品を写真にお撮りになっていたことをふと思い出し、井上靖の『北の海』の話をあなたがされていたので、写真撮影可のため、いくつかお撮りしました。
生徒達は皆真面目そうで、「超然」等と口にすることに微笑ましい大義があり、流れ星に己の行く末を重ねる純粋さと、恋における初々しさが魅力的でした。
写真をいくつかお送りします。迷惑でしたら申し訳ございません🙇‍♂️
最後の写真は北の海です。内灘砂丘にはまって、車が動かせないようです。」

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肘を骨折してもうた!ひとりぼっちは寂しい😭

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金沢旅行の翌日に、仕事中に転倒して左肘を骨折してしまった。救急外来の診断では、6月27日(日)18時に橈骨頭骨折を患えりということだ。

倒れた時は、KOされたボクサーの心境を思わせるほど、全身にダメージを受けて、肩で息するほどだった。左肘は右手でずっと押さえていたけれど……

患部を冷やすと、すくむような痛みが、肘から指先まで走る。副店長が様子をうかがいにくる。自然と力が入るのだろう。三度激痛が走る。

原因は気の緩みである。旅行を終えて一日行けば休みだと思っていたのが、職場の都合により取り消しになり、体力の調整が上手くいかないというストレスから、注意散漫になっていたともいえる。また、結婚もせず、生涯独身という身であると、周囲と波長が合わないし、何のために生きているんだかわからなくなる。

6月29日(火)痛みは、ほぼひいたようだ。

次回は7月5日(月)に診てもらうこととなった。

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泡食って見た宝塚記念のVTRでは、馬連で的中して、200円が5780円になったのに😭

三島由紀夫『美しい星』兼六園 尾山神社

 

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東京駅の構内にある近畿大学水産研究所で獲れた水産物を扱っている。近畿大学は世界で初めて本まぐろの完全養殖に成功した大学である。二番目の大分県では価値が半減するのだから、ネームバリューとは一番でなくてはならないのだ。

自分以外にも料理を写真におさめる人多数有り!

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マグロもブリのみそ煮も身質が素晴らしい。万遍なく程よい脂がのっているといった感じだ。

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新幹線に揺られること3時間半で金沢駅到着である。出口で突然倒れ意識を失った女性がいた。手の爪に赤いマニキュアがついていたから酔いが回ってのことだろうかと思った。駅員数名で対処していた。

 

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KKRホテルに到着した。月が東京よりハッキリ綺麗に見えた。目の前は金沢城の城壁である。

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「公園の登り口は金沢城石川門の白い気高い櫓と相対し、あたりの砂利道には遠い紅葉の落葉が届いていた。二人はその広い砂利道のゆるやかな勾配を、公園の木深い高みへ向って登った。

登るにつれて、暁子の心には、未知への場所へではなく、むかしから親しんだ場所へ一歩一歩足を踏み入れてゆくときの感動に似たものが湧き起こった。」

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「眼下には金沢市街の古い屋根屋根の瓦が釉を光らせ、寺院の甍がそびえる傍らには、新しい中学校のビルもあった。電信柱と電線の網の目が、これほどふさわしく見える町はなかった。明治風の白煉瓦の銀行にも、鏡のこまかい亀裂のように、電線は交わって見え、冬の日ざしのくっきりと半ばする電車通りを、黄いろと赤に染め分けた市電が一心に走っていた。」

三島由紀夫が訪れた当時と金沢市街の景観は一変している。しかし、旧市街がどういう景色であったかは、目の前に浮かんでくるようであった。

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「霞ヶ池周辺の風光は、暁子の眼前に、記憶の親しみと印象の新鮮を兼ね備えた、類いない静寧の美をひろげた。」

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「池の対岸に張り出した内橋亭の茶室の、閉てきった障子の白さが目にしみた。」

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詩人中原中也が郷愁に駆られて泣いたとされる日本武尊

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金沢城南側の景観。

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尾山神社神門前から空を見上げる。当時、無かったであろう高層ビルをのぞいてみれば、三島由紀夫の描いた風景は、存在していたものだった。 

「晴れた冬空は、一枚の絶対の純潔の青い延べ板のようだった。」

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神門はまことに奇抜な意匠で、明治8年オランダ人ボルトマンの指導によって建てられた最後の名残だった。三層の巨大な門のすみずみまで、崇高なところは一つもなく、左右一対の唐獅子が、竜宮城を思わせるその子供っぽい建造物を護っていた。しかも煉瓦づくりの唐門の3つの穹窿は、松に鶴の伝来の透彫の欄干に区切られ、支那風の意匠のいたるところに梅の紋章がちりばめられ、第三層のオランダ風の窓には緑や青や赤のギャマンが嵌め込まれていた。そのギャマンの五彩の裡には、むかしは銅板四柱造の高揚燈が光芒を放ち、遠く日本海をゆく船路の目じるしにさえなったのである。」

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太陽を浴びて育った明るいシャクヤクの葉よ

君を見ればわたしが1番健康だった時を思い出す

明るい未来を信じて疑わないその姿

可愛さと懐かしさを授けてくれる

 

何もかもが遠くに去り行くように思う40歳

金沢での一人旅

好きだと言えなかった金沢出身の彼女に

今になってシャクヤクの精一杯の緑の葉を渡せたら嬉しいのに

 

きっとお宮の松は純粋で可愛らしい方だったのだろう

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詐欺被害者とのやり取り! No.4

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私「こんばんは!
ブログが参考になるなんて、お言葉ありがとうございます。誰も読んでいないと思って書いていたので、嬉しい限りです。

おかしいと思っていても、嫌われたくないから黙っているというのは、私もそうでした。

身分証明書を見せてという風に迫られた時点で関係を切るというマニュアルもあるのでしょうかね。彼女も、詐欺組織に属しているから、自由が無いところもあるのかもしれません。Oさんのメールを読んでいると、本当に真面目で誠実で知的で、彼女を愛していた想いが伝わってきますし、Aさんも真心に触れて、苦悩した日があるのは間違いないでしょう。

その方は、コメント欄に、書き込みがしてあるだけで、どういう成り行きだったのかは不明です。思い出したくもないのでしょうかね。」

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ