nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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瀞峡巡りは愛を運ぶ


1、三島由紀夫の紀行文に、熊野の瀞八丁をプロペラ船に乗って見て回るというのがあったから、私も熊野本宮神社を参拝した後に行くことにした。志古から乗ると往復で1時間55分、小川口から乗ると、往復1時間ということである。私は小川口から乗ることにした。本当は、熊野速玉神社の新宮の河川から遡上していき、瀞八丁に入っていくのが理想であるが、私の場合は、いきなりクライマックスを体験しようとすることになる。
 道の駅で聞いた通りの河川敷に来ても、標識すらない。待っていると、2人の老夫婦が歩いてきた。ウォータージェット船の乗り場はここですか?と聞くと、昔、ここで乗ったから、ここじゃないかと応えた。
 新婚当時に、このウォータージェット船に乗ったそうだ。金婚式が先日あったから、また来ようと考えたらしい。

2、船員が2人いて、1人が写真パネルで瀞峡について説明している。写真を見てもらうとわかるが、中央の樹木が生い茂ったところに、少し前まで小学校があったそうだ。こんなところにも住民がいて、生活している人がいる。ましてや子供が学ぶ場所まで……

3、鮎釣りをする人達が4、5人いた。ダムが出来る前の河川は、天然の鮎が素人でもわんさと獲れたそうだ。今では、難しくはなったけれど、それなりに釣れるから、釣り人が後を絶たない。








4、老夫婦に言わせれば、昔の景色と変わらないとしみじみとうなずいていた。崖の上にある旅館(今は喫茶店)も昔からあったということ。集中豪雨でダムから放出された川水は、旅館の高さまで達したと船員が話していた。
5、1缶200円のじゃばらを飲んでみた。酸っぱくって甘いというような味、オレンジとグレープフルーツを2で割って、薄荷を少し混ぜたような味である。老夫婦は懐かしそうに2人で飲んでいた。昔のあったのかは知らない。2人で写真を撮らないと奥さんが言い出し、旦那がうなずいた。近くで同じくじゃばらジュースを飲んでいた私にシャッターを切るように頼んできた。離婚する人が多い中で、結婚してここまで続いてきた力はどこにあるのかなと思った。

神様の住む場所(熊野本宮大社より)


南紀勝浦の休暇村に行く道の途中で、風光明媚な入江に出会う。休暇村ホテルのフロアにこの風景の絵画が飾ってあった。バレーボールでもしているのかという生徒のかけ声がどこからともなく聞こえてくる。素晴らしい自然の中で、その恩恵を受けて生活している人達が、都会で住むようになるとどうなるのかなと思う。観光遊覧船に揺られて、リアス式海岸を見て回りたかったが、水曜日は残念ながら休日ということだった。

朝起きるて、カーテンを開けると、太陽の光の筋が私のところに一直線に届いている。神に一瞬出会えた気持ちになる。


熊野速玉神社に参拝。熊野三社巡りのうち、那智と速玉に参拝した。残るは、メインイベント、熊野本宮にここから自動車で一時間近くかけて行こうと思う。三島由紀夫ナビで見ていきたい。

しかし熊野川ぞいのドライブは、石ころだらけの難路に、材木を積んだトラックに何度となく行き会い、そのたびに濛々たる埃をかぶって、冷房のおかげで窓を締めているからよいけれども、しみじみと川の眺めを見下ろす余裕もない旅であった。
 むかし本宮は音無川のまん央にあり、壮麗を極めていたが、明治二十二年水害を蒙り、明治二十四年に今の川ぞいの地に移されたのである。
 川むこうにもいろいろの滝があるが、車のゆく道の側に、白見の滝と呼ばれる那智の裏滝を見たことは、先生もわざわざ車を停めて見ようとおっしゃったほどで、常子にとって忘れがたい喜びであった。
見たところは変った滝でもなく、トラックのあげる土埃にすっかり白く染まった草木が、滝のまわりだけつややかに濡れて光っているのが、新鮮な眺めであったが、これがあの巨大な那智の裏側から落ちてくる清らかな水だと思うと、見上げる空から迸り落ちる白い一筋が、尊いものに感じられた。思えば常子も先生のおかげで、きのうの朝は海上から遥かに望み、そのあとでは滝壺にいてそのしぶきを浴び、今日はそのひそかな裏滝を窺うという具合に、心ゆくまで那智の滝に親しむことができたのである。(三島由紀夫著『三熊野詣』)



やがて川の分岐点からさらに熊野川に沿うて西へ進み、山々谷々をわたって湯峰温泉をすぎ、支流の音無川がのびやかな流域を示しはじめるところに、川ぞいの閑雅な社が杜に囲まれて見える。
車を下りた常子は、夏の日に包まれたあたりの野山の美しさに目をみはった。人影も少く、清浄の気に杉の香がまじって、ここが阿弥陀浄土だという言い伝えは、今日のような雑駁な世の中には、却ってまことらしく思われるのもふしぎである。老杉の木立にこもる蝉の声さえ、少しもうるさくなくて、いちめんに貼りつめた赤銅の箔が鳴りひびいているように、しんしんときこえる。
端然とした白木の大鳥居の下をくぐって、下枝まで葉叢のひろがった杉木立のあいだの、玉砂利の参道をゆっくり歩く。日ざかりであるのに、事新しく暑熱を感じることもない。石段の下から見上げれば、空は悉く杉の緑に包まれ、ところどころに幹の高みを染める木洩れ日と、焦茶いろの枯葉を点綴するのみである。
 石段の半ばにその一節を引いた立札があったので、常子は謡曲の「巻絹」を思い出した。




和泉式部の祈願塔。
 和泉式部が熊野参詣を遂げようとはるばる京から熊野にやって来た時,ちょうど月の障りとなりました。式部は,血の穢れゆえ熊野の神への奉幣がかなわないと思い込み,その不運を嘆きつつ,「はれやらぬ身のうきくものたなびきて月のさはりとなるぞかなしき」と歌を詠んで寝た所,その夜の夢に熊野権現が現れ,「もろともにちりにまじわる神なれば月のさはりもなにかくるしき」(「もとよりもちりにまじわる神なれば月のさはりもなにかくるしき」)と式部を慰めたといわれています。

 熊野の神は夢の中で託宣する神として有名ですが,この歌は『風雅和歌集』(南北朝時代成立)に載せられています。この伝承は,熊野権現が女人の不浄を嫌わない事例として時宗の聖たちによって世の中に広められたと思われます(五来重説)。

 このエピソードにちなんで江戸時代の俳人服部嵐雪は「蚋(ぶと)のさすその跡ながらなつかしき」という句を残しています。 

元々音無川の真ん中にあったと本宮神社跡には、日本一の大鳥居ができている。周りは田んぼになっていて、鹿注意という立て看板があった。農作物を荒らすらしい。帰りにこの道を通っていると、休暇村ホテルにいた綺麗な女性が夫らしき男と一緒に歩いてくる。男性は暑い中、しんどそうに無理してついてきているといった風で、しかめっ面をしている。美人の女性と付き合うというのは、案外と大変なことだ。

伊勢神宮 集客力半端ない


1.熊野三社、瀞峡を巡った後、高速道路を利用して、2時間半かけて、伊勢まで戻ってきた。伊勢神宮の鳥居の前で雨が降りだした。傘を近くのお店で買い、有名な宇治橋を渡った。

2.宇治橋を渡り右手の光景である。この道を真っ直ぐ進んで突き当たりを左に行くと、正宮に参拝できる。突然の雨に、カップルの若い男女は、木陰に身を寄せて、雨宿りをしている。それでも雨をしばらく浴びたため、身体の起伏がハッキリしていて色気を放っていた。

3、木の幹が太くて丸みを帯びている。神域の木々を大切にお守りしてきた姿であろう。何世代も昔から、大事にしてきたものなのであり、その愛に触れたような気がしてほっこりした。

4、ついに正宮の前にきた。この階段を昇っていく天皇の姿がテレビの一コマで必ず取り上げられる。階段から写真撮影はNGということだ。鳥居のところにいる警備員が目を光らせている。
5、鳥居をくぐると、いたって粗末な茅葺き屋根と、少年自然の家の林間学校で訪れるような、昔ながらの家といった風情だ。20年に一度の式年遷宮があるから、社そのものは、どれも綺麗である。
三島由紀夫の言葉です。
「持統帝以来59回にわたる二十年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。」

6、木々の幹がどれも丸みを帯びて美しく、神秘的ですらある。多くを訪れる皆の目によって磨かれてきたようで、人の魂が宿っているかにも思える。

7、神苑の外れの橋を渡ったところに風日祈宮(かざひのみのみや)がある。風の神をまつぐ別宮である。鎌倉時代元寇の時、神風を吹かせて日本を守った神ということだ。
こちらも粗末な掘っ立て小屋のようで、牛や馬を飼っていてもおかしくない風情であるが、昔からの伝統を引き継ぐということ、この形体を祈ってきた日本人の歴史に思いをはせる。

8、風日祈宮の参拝を終える。鳥居からみて左方に小さな小屋がある。そこに警備員がテロ対策なのか、真剣な表情で参拝客の一挙手一投足を監視している。韓国との不仲が続いているから、テロの可能性があるのだろうかと考える。

9、おはらい町を歩いてみる。職場の方へのお土産のまんじゅうや煎餅を買うように店を回ってみた。喜久屋は先ほど傘を買ったところ。

10、おかげ横丁の入口らしい。皆が想像するような江戸時代という町並みに合わせて造られたレトロティックな郷愁を誘う。画面右スレスレの女性も傘を持たずに雷雨にやられて、身体の起伏がエロティックな趣を呈している。

11、まるごと果実を買ってみた。中にある種をくりぬき、専用のミキサーでかき混ぜ、ストローをさして飲んでみるというもの。飲む量はほとんどないけど、観光気分に浸れるということでこれだけ売れるものだ。この果実を持つだけで、なぜか嬉しいオレンジの果実というものだ。

那智大社で神の実在を信じた!

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1,車は那智のお社の鳥居の前に着き、二人は冷房の車を下りて、面へいきなり吹きつける暑熱の気によろめきながら、杉木立の木漏れ日が熱い雪のように霏々と落ちている参道の石段を下りはじめた。
(三熊野詣より)



2.今や那智の滝は眼前にあった。岩に一本立てられた金の御幣が、遠い飛沫を浴びて燦爛とかがやき、凜々しく滝に立ち向っているようなその黄金の姿は、おびただしく焚いた薬仙香の煙に隠見している。
 宮司がすぐ先生を見て寄って来て、恭しくご機嫌を伺い、一般の人には、落石の危険のために入ることを禁じられている滝壺間近へ、二人を案内した。朱塗りの門の、大きな錠は、錆びついていてなかなか開かなかったが、その門を入ると路は岩の上を危うく伝わり、滝壺のすぐそばまで行くのである。
 ようやく岩の平らなところに座を占めた常子は、霧のような飛沫を快く感じながら、自分の胸へ落ちかかるほどに近い大滝を振り仰いだ。
 それはもはや処女のようではなく、猛々しい巨大な神だった。
 磨き上げられた鏡のような岩壁を、滝はたえず白煙を滑り降ろし、滝口の空高く、夏雲がまばゆい額をのぞかせ、一本の枯杉が鋭い針を青空の目へ刺している。その白い水煙は、半ばあたりから岩につきあたって、千々に乱れ、じっと見ているうちに、岩壁が崩れて、こちらへ迫り出してきて、落ちかかってくるような気がする。又、少し顔を傾けて横から見ると、水と岩のぶつかる部分部分が、あたかも泉を一せいに噴き出しているようにも思われる。
 岩壁と滝とは、下半分はほとんど接していないから、滝の影がその岩の鏡面を、走り動いているのが明瞭に見える。
 滝はその周辺に風を呼んでいる。近くの山腹の草木や笹はたえず風にそよぎ、しぶきを浴びている葉は、危険なほど鋭敏に光る。さやめく雑木が、葉叢のまわりに日光の縁取りをして、狂ったようにみえるさまは又なく美しい。『あれは狂女なのだ』と常子は思った。
 常子はいつのまにか耳に馴れて、あたりをとよもす滝の轟音を忘れていた。轟音は却って、静かな深緑の滝壺にじっと見入っているときに耳によみがえってくる。その深い澱みの水面は、驟雨の池のように、笹立つ小波をひろげているにすぎない。
「こんな見事な滝ははじめてでございます」
(三熊野詣)

私はむしょうに那智へ行きたくなった。 
勝浦からタクシーで三十分ばかり、この神の滝は、やや水が乏しく、姿がやや歪んでいたが、高さ百三十三メートル、幅十三メートルの壮麗な全容は、宮司の厚意で特に滝壺のところまで行って、しぶきを浴びながら仰いだとき、ここに古人が神霊の力をみとめたのも尤もだと思わせた。落口は岩壁を離れて水煙になり、その白い煙の征矢が一せいに射かけてくるようで、うしろの岩に、その水の落下の影が動いて映る。中ほどから岩に当って幾筋にもわかれて岩を伝うが、じっと仰いでいると、その光った石英粗面岩の岩壁全体が、こちらへのしかかって、崩れて落ちてくるような気がする。
 滝の横でしじゅうわなないている濡れた草むらを、二、三の黄の蝶がめぐっている。
三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)

3、滝の前でも、また、五百段の石段をのぼって達する本社の前でも、煙に願文を託して焚く修験道のなわはしによって、神社でありながら、神前に、香りを抜いた薬仙香をおびただしく焚き、神道護摩の姿を伝えている。明治政府の神仏分離も、この土地の長い神仏混合・本地垂迹の伝統をほろぼすわけには行かなかったらしい。
 熊野信仰の源は、ここの本社那智山熊野権現、新宮の速玉神社、本宮の熊野坐神社、の三つ。いわゆる熊野三山にあるのであるから、私は新宮へ行って速玉神社に詣で、さらにあとで、紀州の旅のをはりを本宮に定め、これでようやく私の愛する中世文学への義理を果したように感じた。
 夏の烈しい日のなかを五百段の石段を昇るのは決して楽ではないし、上り切ったところで若いアンチャンの観光客までが、
「足が動かんようになってしもた」
 などとこぼしているけれど、神社の長い石段は一種の苦行による浄化を意味しているので、楽に上れたらおしまいである。一例が富士山にドライブ・ウエーが通じることは、「楽に登れる」ということだけでも、神聖化のをはりであり、山岳信仰の死なのである。
 苦行の果てにかならずすばらしい風景が待っている。熊野権現の境内からは、山々のあひだに、東の海をわづかに望むが、そこから昇る朝日の荘厳が偲ばれる。西の眼下には生物学者垂涎の的である原始林があり、ここではさまざまの亜熱帯の動植物が育っている。
三島由紀夫 紀行文『熊野路』より)
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それはたくまずして多くの柵が除かれ、あまたの禁忌が解かれた、ふしぎな夏の午前であった。先生にしても、ことさら解かれたわけではなく、めずらしくこういう成行を許すお気持になったのであろう。
 那智御滝の霊光を移した那智大社へ詣でるには、夏の日ざかりを、四百余段の石段を昇って行かなければならない。この石段の昇りの辛さは、春秋でも全身が汗ばむほどであるのに、まして盛夏のこんな時刻にあえてのぼろうとする人は数えるほどしかいない。近ごろの若い人は足弱と見えて、はじめの数十段で、もう音を上げている若い男女を、常子がおかしく眺めているうちはよかったが、最初の茶屋をすぎるころには、常子自身も怪しくなった。
 先生は茶屋にも寄られず、常子にも手をとらせず、黙々と昇ってゆかれる。どこにこんな強靱なお力がひそんでいたのかとおどろくほどである。背広の上着は常子が持って差し上げたが、杖も買われず、袴のようにひろいズボンにはらむ風もない照り返しの中を、ひどい撫で肩を前に傾けて、ゆらゆらと柳のような足運びを、執拗に次の段次の段へと移される。すでにシャツの背は汗まみれで、扇を使われる暇もなく、握りしめたハンカチでしたたる額の汗をお拭きになるのがせい一杯である。頭を垂れ、白い石段のおもてをじっと見つめながら、苦行をつづけておられる先生の横顔は、いかにも孤独な学究生活の御生涯を語るようで尊げであるが、同時に、いつもの先生の癖で、そういう孤立無援の苦しみを人に見せつけようとしておられるところも仄見える。見るに耐えない眺めであるが、そのなかに、丁度海水を蒸留して得た潮のような、些少の崇高さがきらめいている。
 これを窺う常子も、おのずから先生に対して弱音を吐くことはできない立場に置かれた。心臓が喉元へ突き上げて来るようで、歩き馴れない膝は痛み、脛は痛み、足は次第に雲を踏むように覚束なくなる。それに何という、地獄のような暑熱であろう。目もくらめき、気を失わんばかりの疲労の底から、やがて、砂地に湧き出る水のような、浄いものが溢れてきた。先生がさっき車中で話された熊野の浄土の幻が、こういう苦難の果てに、はじめて実感を以て浮んでくるように思われる。それは緑の涼しい木陰に守られた幽暗な国である。そこではすでに汗もなければ、胸の苦しみもない。
 そこではもしかすると、……と一つの考えが心に生れたとき、それを杖として縋って、登りつづける勇気が常子に生れた。そこではもしかすると、先生と自分がすべての繋縛を解き放って、清らかなままに結ばれる定めが用意されているのかもしれない。十年間、心の隅にさえ浮かべたことのない望みであるが、尊敬をとおして、尋常でない神々しい愛が、どこかの山ふところに、古い杉の下かげに宿っているのを、夢みたことがあるような気がする。それは世のつねのありきたりの男女の愛のようなものであってはならない。見かけの美しさを誇示し合うような凡庸な愛である筈もない。先生と自分は、透明な光の二柱になって、地上の人間を蔑むことのできるような場所で相会うのだ。その場所が、今息を切らせてのぼる石段の先にあるのかもしれない。
 あたりの蝉の声も耳に入らず、石段の左右の杉木立の緑も目に入らず、常子はただ頭上から直下に照りつける日の、それ自体が目まいのような光りを項に感じながら、いつしか光かがやく雲の上をよろめき歩くような心地になった。
(三熊野詣)
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枝垂桜の木と根元近くに鴉岩

初代天皇神武天皇那智まで案内したとされる鴉が、岩となって今日まで残っている。鴉岩は、皆、携帯で写真を撮っていく。

玉砂利の袋を神主さんから渡されたので、丁寧に平になるように入れてみた。赤と白がのコントラストが綺麗だ。

――熊野那智大社の境内に達したとき、冷たい手水所の水を髪にふりかけ、咽喉を潤して、ようよう落着いて眺めわたす景色は、浄土ではなくて明るい現実のものであった。
 ひろい眺めは、北の方、烏帽子ヶ岳、光ヶ峯、南の方は妙峯山の山々に囲まれ、死者の髪を納める寺のある妙峯山へゆくバス道路が、下方の針葉樹林のあいだを迂回してゆくのが見えたが、東だけはわずかに海にひらけて、そこからのぼる朝日がどんなに暗い山々を変貌させ、どんなに人々の讃嘆と畏怖の心をそそったかが偲ばれた。それは死の国へひょうと射放たれる赤光の生の矢だった。それはやすやすと、平家物語巻十にいわゆる「大悲擁護の霞」、つねに熊野の山々にたなびいていると云われるけだかい薄霞をも、射貫いたにちがいない。
(三熊野詣)
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 藤宮先生はここでも宮司と昵懇の間柄で、朱塗りの格子門から社の内庭へ案内された。
 ここは夫須美大神(伊邪那美大神)を主神とし、ほかの二山の主神をも併せ祀っていることは、三熊野の共通の特色である。従って内庭まで入ってみれば、滝宮、証誠殿、中御前、西御前(那智大社の御本社)、若宮、八神殿の六つのお宮が、男神女神それぞれの、雄々しさとたおやかさを甍の形まであらわして、居並んでいるのが窺われる。「満山護法」と云うように、まことに熊野の天地には、神々や仏たちがひしめき合って在すのである。
 それらの神殿は夏の日の下に、色濃い杉の裏山を背にして、丹のいろ青のいろの花やかさの限りを尽している。
「どうぞごゆるりと」
 と宮司が二人を残して去ったので、二人は名高い古木の枝垂桜や鴉岩のある内庭を、わがもののように感じた。暑さのために苔もすっかりけば立って、内庭は、神々の午睡の寝息が聴かれるようにしんとしている。
 先生は、朱の玉垣を隔てた六つの神殿の棟を指さして、
「ごらん。あの蛙股の彫刻が、お宮ごとにみなちがうから」
(三熊野詣)

潮騒(神島)は本来の姿を見せている!

鳥羽水族館から歩いて10分ぐらいで、佐田浜港に着いた。マリンターミナルの待合室に座っていると、NHKで大相撲を放映している。やはり国技というもので、日本国中で場所中は毎日放送しているのだから、その位の高さに今更ながら驚く。


待合室で可愛い女子高生が、神島行のフェリーに乗るところだ。後ろの赤いバッグを肩に掛けたおばさんは、孫と食べるはずのフランクフルトを2本、女子高生に渡していた。久しぶりだけど、もう高校生になったんだねと先ほどの待合室で言葉を交わしていた。そのまま2本ペロリと食いあげると、澄ました顔をして悪びれる様子もない。『潮騒』の一節が頭に浮かんできた。

 初枝の父親である照爺が2人の仲を反対し、初枝と新治の恋がうまくいかずに2人は悶々とした日々が続いていた。新治の心情を思うあまり、母親は、無謀とも思える行動にでる。照吉に会って息子の心情を伝え、2人を添わせてやることだ、親同士の話合いのほかに解決の道はない、と考えたのである。しかし、照吉は、会わなかった。母親は、孤独に陥る。
そんなある日、季節ごとに島へやってくる年老いた行商が、海女たちがほしがるハンドバッグを、鮑とり競争の賞品にすることになった。
(第十三章より)
 一番と二番、初江と新治の母親は疲れて充血した目を見交わした。島でもっとも老練な海女がよその土地の海女に仕込まれた練達な少女に敗れたのである。初江は黙って立って、賞品をもらいに、岩のかげへ行った。そしてもって来たのは、中年向の茶いろのハンドバッグである。少女は新治の母親の手にそれを押しつけた。母親の頬は歓びに血の気がさした。
「どうして、わしに……」
「お父さんがいつか、おばさんにすまんこと言うたから、あやまらんならんといつも思うとった。」
「えらい娘っ子や」
 と行商が叫んだ。みんなが口々にほめそやし、厚意をうけるように母親にすすめたので、彼女は茶いろのハンドバッグを丁寧に紙に包み、裸の小わきに抱えて、何の屈託もなく、
「おおきに」
 と礼を言った。母親の率直な心は、少女の謙譲をまっすぐにうけとった。少女は微笑した。息子の嫁えらびは賢明だった、と母親は思った。

上述の写真女を見よ!女子高生は、おばさんの孫をみつめて微笑んでいる。島の政治はいつもこうして行われるのだ。





神島直送のフェリーに乗って25分ぐらいで神島に着いた。答志島を抜けた辺りから四方が海に囲まれ、25メートルしか泳いだことのない私は、落ちることは死を意味すると思った。
「低い船橋ごしに、沖にあらわれる島影を待った。歌島はいつも水平線から、あいまいな、神秘な兜のような形をあらわした。船が波に傾くと、その兜は傾いた。」

 (第一章より)
一人の見知らぬ少女が、「算盤」と呼ばれる頑丈な木の枠を砂に立て、それに身を凭せかけて休んでいた。その枠は、巻揚機で舟を引き上げるとき、舟の底にあてがって、次々と上方へずらして行く道具であるが、少女はその作業を終ったあとで、一息入れているところらしかった。額は汗ばみ、頬は燃えていた。寒い西風はかなり強かったが、少女は作業にほてった顔をそれにさらし、髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。綿入れの袖なしにモンペを穿き、手には汚れた軍手をしている。健康な肌いろは他の女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静かである。少女の目は西の海の空をじっと見つめている。そこには黒ずんだ雲の堆積のあいだに、夕日の一点の紅が沈んでいる。

ここが以前、銭湯だった場所らしい。今は喫茶店になっている。
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島で一番綺麗で高く目立っている。三島由紀夫原作の映画の恩恵を十分に受けたのだろう。
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料理は最上級のものにした。とっても豪勢である。脂は少ないけど、鮮度は抜群である。食べきれないほどのご飯で、朝晩残してしまい申し訳ない。

八代神社に向かう階段。
「二百段を一気に昇っても、すこしも波立たない若者の厚い胸は、社の前にあって謙虚に傾いた。」
ゆっくり歩いたけれど、胸が波立ってしょうがない。高校球児だった頃は、駆け足で昇れたかもしれないけど、膝に手を当てて肩で息をするだろう。
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(第三章より)
思い切って、もう一つ十円玉を投げ入れた。庭にひびきわたる拍手の音と共に、新が心に祈ったことはこうである。
「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!わたしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し、何事にも熟達した優れた者になれますように!やさしい母とまだ幼い弟の上を護ってくださいますように!海女の季節には、海中の母の体を、どうかさまざまな危険からお護り下さいますように!……それから筋違いのお願いのようですが、いつかわたしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」

灯台に向かう道だが、残暑の厳しい9月初旬というのもあるのか、蜘蛛の巣が通り道に張られていて、油断していると被ることになる。景色を目で追っていると、耳もとでプーンという音がする。振り返ると、都会にはいないような大きい蜂が通り過ぎる。昆虫、鳥が皆大きくて、落ち着かない気持ちにさせる。クロアゲハが2匹草原から挨拶代わりに姿を現した。
黒くて大きな蝶に、母親が問いかける場面があったけれど、変に生々しく、その島での生活感が呼び起こされてくる。
(第12章より)
母親は一羽の蝶が、ひろげてある網のほうから、気まぐれに突堤へむかってとんでくるのを見た。大きな美しい黒揚羽である。蝶はこの漁具と砂とコンクリートの上に、何か新奇な花を探しに来たのであろうか。漁師の家には庭らしい庭はなく、石で囲まれた小さな道ぞいの花壇があるだけで、蝶はそれらのけちけちした花に愛想を尽かして浜へ下りて来たものらしい。
 突堤の外には波がいつも底土をかきまわすので、萌黄いろの濁りが澱んでいた。波が来るとその濁りは笹くれ立った。母親は蝶がやがて突堤を離れ、濁っている海面近く、羽を休めようとしてまた高く舞い上るのを見た。
『おかしな蝶やな。鷗のまねをしとる』
 と彼女は思った。そおう思うとひどく蝶に気をとられた。
 蝶は高く舞い上り、潮風に逆らって島を離れようとしていた。風はおだやかにみえても、蝶の柔らかい羽にはきつく当った。それでも蝶は島を空高く遠ざかった。母親は蝶が黒い一点になるまで眩ゆい空をみつめた。いつまでも蝶は視界の一角に羽搏いていたが、海のひろさと燦めきに眩惑され、おそらくその目に映っていた隣りの島影の、近そうで遠い距離に絶望して、今度は低く海の上をたゆたいながら突堤まで戻って来た。そして干されている縄のえがく影に、太い結び目のような影を添えて、羽を息めた。
 母親は何の暗示も迷信も信じない女だったが、この蝶の徒労は彼女の心に翳った。
『あほな蝶や。よそへ行こうと思たら、連絡船にとまって行けば楽に行けるのに』
 ところが島の外に何の用もない彼女は、もう何年と連絡船に乗ったことはなかった。
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恋人の聖地に認定された神島灯台に到着。
灯台官舎の窓枠に蜘蛛の巣がびっちりいて、人が通らなくなるほど、虫や動物の住処になっていくのは致し方ない。これが元々の神島の素顔なのだろう。

(第2章)
山に遮られた島の南側には風がなかった。日に照らされた太平洋は一望の裡にあった。断崖の松の下には、鵜の糞に染った白い岩角がそびえ、島にちかい海は海底の荒布のために黒褐色を呈していた。怒濤がしぶきを立てて打ちかかる高い岩の一つを、新治は指さして説明した。
「あれが黒島や。鈴木巡査があそこで魚釣りしとって、波にさらわれたんや」
こうして新治は十分幸福だったが、初江が燈台長の家へ行かなければならない時刻が迫っていた。初江はコンクリートの縁から身を離して、新治の方を向いて言った。
「私、もう行きます」
新治は答えずに、おどろいたような顔をした。初江の赤いセエタアの胸に、黒い一線が横ざまに引かれていたからである。
初江は気がついて、今まで丁度胸のことろで凭れていたコンクリートの縁が、黒く汚れているのを見た。うつむいて、自分の胸を平手で叩いた。ほとんど固い支えを隠していたかのようなセエタアの小高い盛上りは、乱暴に叩かれて微妙に揺れた。新治は感心してそれを眺めた。乳房はその運動の弾力のある柔らかさに感動した。はたかれた黒い一線の汚れは落ちた。




潮騒より)デキ王子の伝説は模糊としていた。デキというその奇妙な御名さえ何語とも知れなかった。六十歳以上の老人夫婦によって旧正月に行われる古式の祭事には、ふしぎな箱をちらとあけて、中なる笏のようなものを窺わせたが、その秘密の宝が王子とどういう関わりがあるのかわからなかった。一昔前までこの島の子が母をさしてエヤと呼んでいたのは、王子が「部屋」と妻を呼んだのを、幼い御子がエヤと訛って呼びはじめたのに起るという。
 とまれ古い昔にどこかの遥かな国の王子が、黄金の船に乗ってこの島に流れついた。王子は島の娘を娶り、死んだのちは陵に埋められたのである。王子の生涯が何の口碑も残さず、附会され仮託されがちなどんな悲劇的な物語もその王子に託されて語られなかったということは、たとえこの伝説が事実であったにしろ、おそらく歌島での王子の生涯が、物語を生む余地もないほどに幸福なものだったということを暗示する。
 多分デキ王子は、知られざる土地に天降った天使であった。王子は地上の生涯を、世に知られることもなく送ったが、追っても追っても幸福と天寵は彼の身を離れなかった。そこでその屍は何の物語も残さずに、美しい古里の浜と八丈ヶ島を見下ろす陵に埋められたのである。
 ――しかし不幸な若者は祠のほとりをさすらい、疲れると草の上につくねんと坐って膝を抱き、月にてらされた海を眺めた。月は暈をかぶり、あしたの雨をしらせていた。

潮騒より)その古里の浜は岬の西側に、島でも一番美しい海岸線をえがいていた。浜の中央には八丈ヶ島とよばれる二階建の一軒の家ほどの巨岩がそびえ立ち、その頂きにはびこった這松のかたわらに、四五人の悪戯小僧が何か叫びながら手を振っていた。
三人も手を振ってこれにこたえた。かれらのゆく小径のまわりには、松の木の間のやわらかな草生のところどころに、赤いげんげの花が群がって咲いていた。



(潮騒より)古里の浜に大きな亀が上ったのである。亀はすぐ殺され、その卵がバケツに一杯もとれた。卵は一個二円で売り捌かれた。

鳥羽発神島行の船のデッキで、日焼けした4人の若い男が、ビールを飲みながら騒いでいた。三島由紀夫潮騒創作ノートにこうある。
◎議論
「愛情と友情について」「恋愛と結婚について」「食塩注射と同じ位の大きさの葡萄糖注射あるか」(いやブドウ糖50㏄以上打ったらアカン)言いとおしたものが勝ち。
船上の漁師たちも、とめどない話であるが、酔いにまかせて盛りあがっている。
きっと、三島は神島での生活で島で暮らす人達のことが好きになって、その思いが作品に投影されているから、名作として今も読み継がれているのだろう。『潮騒』は神島へのラブレターと言えるのではないか!

「昔は洗濯物を持ってきて、ここで踏んで洗っとった。水量はこんなもんだったよ」年配の女性の言葉。「寺田さんのお母さんは、今、島を離れて、娘さんのところに行っているみたいじゃけどね」
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三島由紀夫が滞在した寺田邸。この後、午前8時の鳥羽行のフェリーに乗った。

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鳥羽水族館

1.9月9日(月)の始発で京王多摩センター駅から新横浜駅に行き、午前中には鳥羽港を経由して、神島に着くはずであった。しかし、前日夜から台風が関東平野に上陸したため、電車が10時になるまで運行せず、鳥羽に着いたのは、午後3時であった。次の神島行きのフェリーは、午後5時40分ということだから、鳥羽水族館を観てこようと考えた。結果、これが一番の娯楽であったといえよう。単純に楽しかった。他は三島由紀夫の書物を通して、事物を見ることで知的興奮を覚えはしたが、水族館は、何の媒介もいらずに、ただ見ていて楽しいのである。
旅行にきている学生の連中が、なんかテンション上がってくるわと話していたのもうなずける。
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2.鳥羽駅は平日の月曜日であるにもかかわらず観光客が多い。

3.鳥羽港(佐田浜)の周りを散策

4.海上保安庁の船舶有り 日の丸を掲げて日本近海をお守りしている。

5.入ってすぐの水槽には、体長30㎝~50㎝の鯛に似た魚が泳いでいたが、急に上からウミガメが降りてきた。

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6.近海で採れる魚らしいけど、熱帯魚みたいに黄色の光沢が眩しい。

7.海の中に潜っていくような館内のつくりと演出に敬服

8.これだけ大きい紡錘形の魚を小さい水槽に3匹も入れて大丈夫だろうか? ゆっくりしてほとんど動かないのだけど、習性なのだろう!

9.大きい巻き貝が底深くにもぞもぞとして生きている。

10.化石を展示している。昔はもっと大きいのが海の底にいたらしい。

11.サメの仲間がすばしっこい身の動きで右左と向きを変える。見学する人間を餌に見立てているのだろうか?

12.水族館のアシカショーを見学。輪投げを首に受け止めたり、遠くから投げたフリッスビーを口で咥えてみせたり、会場のみんなに拍手を促すように両手をひらひらさせたりと凄いなぁと思った。それ以上に、この女性が可愛くてみとれてしまった。みんなを元気にさせるような明るくて無邪気に溢れた声をしていて、とっても感じが良かった。都心ではあまり見かけないような純朴さがあった。水族館で働こうというだけでも、純朴かもしれない。


13.トドである。とにかくデカい。不格好な姿が、海で生きるたくましさを全身で表している。

14.実寸大の大きさということだ。防腐材をほどこして、岩のように固めたということだけど、こんなのに海中で攻撃されたらひとたまりもない。

15.可愛い顔をして油断をしたら大変だ。ピラニアである。人食い魚とアマゾンでは恐れられている。

16.アフリカから持ち帰った魚らしい。身体似合わず草しか食べない。懐かせるのに、人間が手で餌をやっている写真が掲示されていた。

17.ご存知、動物園で大人気のカピパラである。餌やりタイムで、女性の客が十人近く携帯をかざして写真を撮ろうとしている。

18.身体は大きいけれど口は小さいのか、少しずつ食べていく。

19.ウミガメがうろうろしている。海は広いし大きいな。

20.これも先ほどのアフリカから持ち帰った魚で、水面に浮いている草が餌である。草ばかり食べてこれだけ大きくなるのだから、素質は人間でも重要な要素だろう。

21.クラゲが証明に照らされて美しい。

22.さきほどアシカショーで解説をしていた女性が、今度はラッコと仲良く遊んでいる。客が20人近くカメラを向けている。凄い人気である。擬人化できるものほど、人気があるのかもしれない。

20.ラッコのお祈りポーズだ!

アラジン婚活 男のエゴを越えられない


立川でお会いした女性とアラジンを観に行くと様子が変わっていた。笑顔に以前より自信が備わっている感じがした。
黙り続けているのは変わらない。間をもたせなきゃという気持ちは彼女に対してはいらないのだろうか。
最近観たテレビはありますか? と聞くと、老人ホームで甲子園を観たことぐらいですかねとかすれる声で答えるだけだけど、微笑み方がゆったりしていて余裕そうである。
「私もあまりテレビを見ないけれど、最近、ブラックホールについて解説しているNHKの特番を見て興味を覚えました。
地球の重力を抜け出して、外に飛び出すには、秒速11kmの速度が必要ということで、引力が強くなるほど、速度を上げる必要があるんです。その引力が強すぎて、光の速さでも抜けられなくなるところがブラックホールです。
銀河群の中心にあるブラックホールは、光を呑み込むほど強力に宇宙空間をかき混ぜる。水をたたえたコップに塗料を垂らしかき混ぜると均質になるように、宇宙空間における元素の割合がそのおかげで一定しているということだった。生命は安定した元素の上に築かれるとすれば、我々の生命はブラックホールと繋がっているということかもしれないということらしいんだ」
Sさんは珍しく嬉しそうに笑った。
開始5分前合図がかかると私達は別々の席に座った。アラジンのチケットは、ペアではなかなかとれない。了承済みであったが、席を探す彼女の背中は寂しそうだ。
芝居の幕が引き、汐留シティセンターの42階の和食「えん」で懐石料理を食べた。窓際の席で夜景が綺麗だった。電通本社のビルが夜10時になってもついている。オフィス街のビルの部屋の明かりが多くまだついている。残業しているのだろう。


Sさんは鮎の唐揚げと炊き込みご飯は食べられないようだった。刺身は美味しいと喜んでいた。時計を気にし始めた。午後11時20分の新橋発が彼女の住まい桜街道駅までの終電だ。
「ツヴァイはまだ続けますか?」
ちょっと困った顔をする。
「私はお付き合いしたい気持ちでおります」
顔を紅潮させてはにかんだ後、真面目な顔に戻って、まだ他に会う約束している人がいるので考えさせてもらっていいですか? ということだった。
婚活は次々と紹介されるから、こうなるものなのはしょうがないけど、一気に彼女へのおもいが冷めていくのを胸中に感じた。男のエゴに過ぎないのであるが、どうしても感情は正直である。アラジンの原作者はきっと男であろう。

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阪神タイガース・プロ野球・スポーツ