nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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婚活! 初めての感触!上手く逝きそう!


婚活でお見合いを繰り返せるだけ幸せなんだと近頃思えるようになった。愛する異性を求めてさまようほど、動物にとって幸せなことがあるだろうか? 心身共に健康であるから出来ることなのだ。そして、まだ私のプロフィールを見て、一度会ってみようと思う女性がいるということだけでも嬉しいではないか。
 この度、とても好意的な女性に出会った。初めて会う前のメールから、映画や文学についてのお話を聞けることを楽しみにしていますと、たいそう謙虚に出てくる。よほど容姿に恵まれない女性に、この手のタイプが多いのだが、プロフィール画像を見る限りは綺麗だ。
 モノレール立川駅北口階段下で待ち合わせる。私の前にきて、待つ姿は、緑のワンピースに白のカーディガンが、真夏の青空と合っていている。目鼻立ちがしっかりした顔をしている。綺麗だと思った。
「Sさん、お待ちしておりましたか? 私はIです。今日はお会いできて嬉しいです。」
 と話掛ける。笑顔の後で目を大きくして厳しそうな、挑むような、睨むような表情を浮かべる。
「食事はされましたか?」
「まだしていません」
 食べましょうということになった。最初はカフェで終わりというのが多い中で、食事をすることになった。
 伊勢丹ビルの最上階がレストラン街になっていて、カフェ兼洋食レストランのお店に入った。彼女はオレンジジュースとドリアを、私はゼリーケーキとジンジャーエールを頼んだ。
 大学を卒業して老人ホームに10年勤めている彼女は、始終、真剣な顔を向けてくる。話題が詰まると、困ったという気持ちになるが、彼女は動じずに、じっと力強い目を私に向けてくる。
 学校のこと、兄弟のこと、好きな食べ物、旅行した場所と感動したこと、とにかく何でもいいから質問をして、話を膨らませる努力だけをしている感じだった。私が話すのをやめると、すぐ沈黙が待っていることがわかる。間が持たないではないか。
 以前、メールアプリYOUBRIDEで千葉県の市川駅まで会いに行った女性も、ずっと黙っている人であった。言葉によるコミュニケーションにコンプレックスがあるタイプか、ほとんど気にせずただ単に無口なタイプか二通りあるが、彼女は前者で、コンプレックスになっていると思った。男性との付き合いが会話によって成立しないことがあったのかもしれない。
 自分から帰りたいそぶりを見せては駄目だ。Sさんを傷つけてしまう。しかし、14時に会ってから、気付いたら17時を回っていた。彼女が腕時計を気にする。
「行きますか?」
自然な流れで話しかけたつもりだった。この後、食費は私が出したのだが、怒った顔をしているだけだった。駅までの道も先にさっさと歩こうとする。けれども駅の改札口で挨拶すると可愛くはにかんだ。

この度の話の内容
キャッツのミュージカルが観たいというから、夜勤明けの14日(水)の夕方だったら大丈夫という話になった。調べたら昼の公演である。16日以降の予定が私の方で出ていないから、また今度メールするということにすると、気が変わって駄目になる場合がある。女性の心と秋空は変わりやすいという。それで急遽、14日(水)にアラジンのチケットを取るから行きましょうという話で決着した。日本食が好きだというから、懐石料理でも食べましょうか? と持ちかけた。
夏休みのことを聞くから、とれたら一緒に旅行でもしましょうと話し掛けると、顔を少し紅くしてうなずいてくれた。これだけの手応えは初めてである。
学生の頃、北海道の動物園に行き、アライグマやペンギンを観てきたこと、3年前に友達と広島の厳島神社に旅行したことを話してくれた。必死に話題を膨らませようと努力して、感触は必ずしも良くはないが、何故、彼女は受け入れてくれるのだろう。私のどこをみて、いいと思ってくれたのだろう。会話が100%上手くいっても駄目なものは駄目なのだろうか? 
 動物園にいるやもめのゴリラにつがいのメスを連れてきても、匂いを嗅いで、興味を持たないとそっぽを向いてそれっきりという話は聞いたことがある。男女の惹かれ合う感覚はそれに近いのかもしれない。認めたくないけれど、知的に異性を選択しようとすることはナンセンスであるのかもしれない。
 アラジンを観てから、食事をして、結婚前提で付き合って欲しいと告白をしてみよう。

居酒屋でお見合い!お色気ムンムン、ボクはドギマギ!


昨年の12月から始めたツヴァイの婚活であるが、今回で何人目になるだろう。一度会ってから音信不通になるのを繰り返して今日まできた。後悔だけはしたくないと、40歳になるまで婚活なるものを、アプリとか、街コンとかの遊びのようなものではなく、女性もお金を払って望んでいるような場所で勝負してみたくなった。成婚料をとられるところに加入してまで結婚したいかと言われるとそうでもなかったのでツヴァイに落ち着いた。
やってみて思うところは、これは結婚相談所ではなく、結婚相手データ提供所であることがわかった。
新宿西口の居酒屋「よかろうもん」でお見合いすることになった。最初はカフェ等で軽くお茶をして話をするだけが多い中、居酒屋で食事しようというのだけでも異色である。日程が合わなかったため、彼女の仕事終わりに会うことになった。
清泉女子大学という屈指のお嬢さん大学を出ているNさんは、居酒屋の前で会うと、愛想良くお辞儀してみせた。お顔の化粧が不自然ではないほど均整がとれていて上手いと思った。愛想笑いの浮かべ方も落ち着いている。自信をもって接してくれるから、変にドギマギせずに話せるが、夜、飲み屋で接待するような仕事をしていたのではないかという気にもなってしまう。
和歌山の話題を持ちかけると、田舎でしょと取り合おうとしない感じでツンとしている。父親が高野山大学を寺の小僧をしながら卒業したことで、私も2度ほど和歌山県高野山に行った話をしたけれど、興味は無さそうだ。大学を出たら戻ってくると両親は考えていたらしいが、田舎暮らしはもううんざりらしい。
そうそう、いいね、どれだけという相槌の入れ方は、こっちの気分も良くなるし、目を見て微笑みかけてくる表情は、ドキドキして変な気持ちにさせる。しかし、相手が気を遣ってくれているけれど、話が一向に盛り上がらない。その間、出てくる食物を、彼女はどんどん食べようとする。お酒のジョッキを2度ほどおかわりをして飲み干した。この逞しさが私には欠けていると感じた。食欲が旺盛というのはいいことだ。しばらくして、Nさんがお腹を押さえて、お腹が苦しいと言い出した。トイレから戻ってきても、顔色が蒼白になっている。昼の休憩をとらずに来て、沢山食べたから、具合が悪くなったという。帰りたい口実という訳ではなさそうだ。時間を合わせて飛んできてくれたのだろう。有難いことだ。婚活で申し込みが思ったほどなくて、自分からコンタクトをポチッとやっても断られるんですと可愛いしかめっ面をしていた。綺麗な女性なのに、そういうことなんてあるのかと不思議であった。
後日、大丈夫ですか? 出勤できましたか? という心配メールを入れたけど応えはなかった。30の齢を過ぎた女性を男性は焦りからすぐ落ちるだろうとどこかで舐めているところがある。しかし、その期間、男性と付き合う中で、目も耳も肥えてきているため、男性を見る目が、若い頃より厳しくなっているのだ。今回も、駄目だ! 次に行こう! 今度は良き出会いがあることを信じて! これから婚活をする者へのメッセージを求められたらこれだけだ。
世の中はなにか常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 
万葉集――読み人知らず

婚活! のしかかる相手の人生の息吹と迷い


7月24日(水)の夜7時30分に池袋東口交番前でSさんとお会いすることになった。15分前に着いたら、相手と目があったので、そのまま、近くの服部珈琲舎に招待した。一瞬笑顔になった後に、何度もうなずきながらついてきた。私の雰囲気に不満を持っているというより、結婚しようとすることへの葛藤が垣間見えるようだ。
茶店に入り、誘導されるままに、言われた席に不満の顔を浮かべることもなく、ただ座ろうとする。意思が欠けているように思えても、彼女の真面目に私の顔を見つめてくる目がそれを裏切っている。席についてから、ドリンクだけでなく、せっかく来てくれたのだからケーキはどうですか? と勧めても、食べようとしない。こちらが何かを話さないとすぐ沈黙が訪れる雰囲気であった。難しいかなと最初は考えたけれど、気づいたら、午後9時を回っていたのだから、結構話していた。ほとんど、彼女の食品遍歴についてだ。
婚活で出会う一類型に属するのだろう。今の独身の生活が満更でもなく続けていたいのだけれど、仲の良い友達が結婚したのを契機に、年齢からくる焦りも手伝って婚活を始める女性がいる。今の生活の幸福と結婚後の幸福のイメージを秤にかけて選ぼうとしている。しかし、彼女には、本質的に結婚への願望が薄い。突然、関係を切られるのは、この手の女性で、私は2度苦労した。2度目はこのブログの中で2度記事をあげたことがある。もし良かったら一読願いたい。
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彼女の手放したくないものは、学生の時から栄養士を目指し、現在まで一途に築いてきた食品関係のキャリアであろう。
聖徳大学という女子大を出て、病院食を作る会社に就職したが、時間に追われる日々で、食品の商品開発をしたいと、サンドウィッチの商品開発会社に入り、数年経って、現在は冷凍食品の会社で、商品開発の仕事をしているということである。出張がしょっちゅうあり、日本、世界の食品工場に行き、新規商品の試食や提案を行い、最終的に商品化を行うか決める時が一番緊張するということだ。休日は、カルチャーセンターで食品関係の授業を受けたりしたけれど、遊びに近かったので、調理師の専門学校に行って、調理について勉強し直したと語っている。話題の料理があると、片道2時間かけて食べに行くこともあるという。ツヴァイのプロフィール:趣味関心の欄には、美味しい店探し、旅行(グルメ)、料理と書かれていた。食品について話しているときだけ明るく元気になる。そして、一緒にいることが楽しいという気持ちを満面の笑みで示してくるのだ。しかし、この類の女性は、私に微に入り細を穿つような、結婚後の生活をイメージさせるような質問をしてこない。たとえば、(ペットが欲しい女性)が動物は好きですか? どんなところに住みたいですか? 長期休暇はとれますか? 一人暮らしじゃないんですか?(困った顔)
その後、好きな本は? 好きな映画は? 葛飾区に住んでいるから下町のこと等を話しかけたが、あまり関心がないようだった。
JRの改札口の前でお別れする際、目が合った。寂しそうに私ではない何かを見つめているようだった。
婚活は、相手の人生の大きな一面に触れることができる機会でもあるけれど、それが毒になることも、癒しになることも、場合によっては傷を負うこともある。ここのところ、下痢が止まらなくなったり、いぼ痔になったり、慢性的な疲労にさいなまれているのは、婚活のスケジュールが密になっていることからではないかと考えている。

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『金閣寺』を巡る旅 1-苔寺

 
金閣寺』の舞台を巡る旅に出たが、寄り道をした。三島由紀夫が25歳頃に訪れたことのある、京都の苔寺西芳寺)を最初に行くことにした。
『親切な機械』という作品の重要な一場面につかわれていた。猪口という学生が、苔寺鉄子に結婚を申し込み、断わられたことで、深く考えてから彼女を殺害する話である。

「嵐山には例によって漫然と人間がいるだけのことである。名所というものはどこでもそうであるが、ここは別して今日だけ茶店が休みの日の劇場のような様子をしている。
 そこに23時間いてから西芳寺へ行った。苔庭は冬枯れのままだった。訪れる人はまだなかった。猪口はそれを目当てで誘ったのである。
 初夏になると苔寺の庭は、その凸凹が青い馬の背を連ねたようにみえ、苔の感触といい、光沢といいサラブレッドの名馬の毛並みを思わせる。泰西の人なら、日本ではローンの美しさが、いずれも仮構のものであることに愕くであろう。遠目には美しく刈られたローンとしか見えないものが、近くで見ると歩くこともできない水田なのである。ところが苔寺を訪れる異邦人は、殆ど夢想的な芝生(ローン)の美しさ、これもひとしく仮構の美しさを見出すであろう。なぜならこの庭は妖精のための芝生(ローン)だからである。これは人間の規模を千分の一に縮小したデリケートなローンの微細画である。彼らは波斯密画の繊巧をきわめた庭草の描法を見るであろう。
 しかし庭はまだ赤土色のの枯色を湛えていた。廻遊式の庭園は、荒涼とした径の上に2人を導いた。鉄子が礫(こいし)を戯れに池へ投げ入れる。すると鯉がものうい動きで黒ずんだ鰭をはためかして消えた。
鉄子さん、一寸』
 すこし遅れぎみになった猪口が常に似ぬきんきんした声でこう呼びとめた。ふりむくと、たださえ圧縮された漢字の顔が、赤らんだ肉がぎっしり詰まったようにこわばって、目ばかり光っているさまが異様である。鉄子は戦慄した。足を早めた。
『なあに?……いいから早く出ましょうよ、こんなつまらないところ』
 言いながらますます足を早めた。猪口は黙って追って来る。廻遊式庭園は径が迂回し曲折して歩き尽すことが容易でない。彼女は夢の中で追われているような恐怖を味わった。径の紆余曲折が、無我夢中で歩いていると記憶や夢の構造とまざり合うので、時間も距離もあいまいな延長の上に消えてゆくように思われる。彼女は枯山水の岩間に漏れている水のような早春の日ざしや、竹藪に落ちている斑ら雪めいた日ざしを縫って、ほとんど駆けんばかりにしてもとの玄関の前へ出た。床几に掛けると胸くるしい微笑で鉄子を見下ろした。鉄子は彼の目も憚らずに、ジャケツの襟元深く、大仰にハンケチをさし入れて汗を拭っていたのである。
『ああ、疲れた。鬼ごっこをしてしまいましたな。この庭園で鬼ごっこをしたのは僕らがはじめてでしょうな』」

私が訪れたのは9月下旬であった。
申し込んだ往復ハガキに日時が書かれていて、和尚さんの話とお経を聞いてからでなければ、庭を見ることができない。隣に座っていた西洋人のカップルが、お経の後で喜んで話していた。異国情緒に触れた喜びであろうか? 言葉を連ねていく中で独特のリズムに招かれて、無我の境地に誘われるようである。ここに来る新幹線の中で一人旅の解放感から性欲が募り、西芳寺の簡素なトイレで自慰に耽ろうかと勃然と思っていたのが嘘のように、射精前に賢者モードになれた。
苔は庭にビッシリと敷かれて、確かに微細を極めたローンの美しさを放っていた。庭園は意外と小さく、10分もしないで一巡りできるだろう。
かがみこんで苔を懸命に写している女性がいる。研究でもされているんですか? と聞くと、いいえと黙って首を振った。案内をする和尚さんに質問している人がいたが、一言二言の説明で終える。清掃の仕事の人に毎日されているんですか?と聞くと黙ってうなずくだけだ。
この場の空気がそうさせているようだ。作中で「この庭園で鬼ごっこをしたのは、僕らが初めてでしょうな」とあるけれど、その通りだと思う。きっと三島由紀夫も同じようにこの雰囲気を感じとったのだろう。

小説『金閣寺』を巡る旅 プロローグ


三島由紀夫の『金閣寺』に出会ったのは、大学1年生である。梅ヶ丘商店街の地下にある書店であった。今から20年前、スマホもなかった当時は、梅ヶ丘駅周辺にいくつも本屋があり、多くの人が立ち読みしていた。コンビニのバイトをしていたけれど、人間関係がうまくいかず、火をつけてやりたいという怒りが湧いていた。知ってるつもりで特集していた金閣寺に火をつけた男を思い出した。大学生活を送りながら、ストレスで怒りが始終湧いてくる自分の感情を持て余していた私は、その答えが書かれているのかもしれないと救いを求めるように、『金閣寺』を手にとったのである。
記憶する限り、自分でお金を出して初めて買った本である。結果、この本に出会うために生きてきたのではないかと考えてしまうほど衝撃を受けた。
一昨年の秋に、私の人生で大きく影響された2つのものを、この目で見てこようと思った。1つは、甲子園であり、もう1つは、金閣寺である。甲子園球児になり、阪神タイガースの選手として活躍する夢、『金閣寺』のような小説を書いて、一世を風靡したい夢、この2つの夢が36歳までの私を支えてくれた。しかし、1度もその場に行ったことがないのだ。2泊3日の京都旅行のプランを立てた。
苔寺渡月橋近くの小督の局の墓→亀山公園→妙心寺南禅寺→柊家別館(1泊)→建勲神社大谷大学飛田新地(1息吐いて)→甲子園(阪神巨人戦)→大阪から東京新宿駅までの夜行バス(2泊)→新宿歌舞伎町でクライマックス(アゲアゲで)
という計画を立てた。京都観光する人に興味を持ってもらうように、また、してみたいと思えるように、人情を交えて書いていきたい。

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高校野球にはディオニュソスの神がいる!

 
西東京高校野球、夏予選ベスト8を決める試合を観てきた。1年に1度は高校野球を観て元気を貰うようにしている。母校が早くも負けてしまったために、世田谷学園創価の私学同士の試合を観ることに決めた。 
12時30分試合開始とあるから、25分ぐらいに球場横の坂をゆっくり上がっていると、打者を応援する歌が流れている。金属バットに白球の当たる音が響いてくる。試合が始まっている。プロ野球のように時間に厳密ではないのだろう。
 プロ野球を見過ぎたせいか、高校球児が随分小さく見える。両校共に守備のミスが少なく、ピッチャーが安定した投球を続けていく。
 創価高校のエースナンバーをつけた投手が、2回表に1点を失い、なお1アウト満塁のピンチになる。ここでショートゴロを打たせ、ダブルプレーをとって切り抜けたことが大きかった。
 世田谷学園の投手に、打者1巡目において、まったく手がでなかった創価打線が、2巡目において、甘く入ったストレートを積極的に打ちにいくことで、3回に一挙3点をもぎとった。
 この打撃の修正ができる基本の形が身についているのかというのが、強豪校で背番号をとれるかどうかの分かれ目なのだろう。
 打てなかった理由を考えて次の打席に生かせるかということにおいては、創価の方が上だったと思える。どちらが勝ってもおかしくない試合に見えても、同じような高校生の体力で勝負している場合、より考えてプレーできる総力が問題になってくる。
 創価高校は3回以降、背番号10番の右の速球投手がゼロで抑えた。世田谷学園の投手も3回以降、ストレートが甘くならないようにコントロールし、縦スラを中心に投球することで、同じくゼロで抑えた。
 隣の中年女性はスコアーを一所懸命につけている。高校の関係者ですか? と失礼ながら聞いてみると、笑って首を振って、好きなんですと応えた。酒の酔いが入って顔を赤くした中年男性が興奮して、打ってみろと叫ぶ声が聞こえてくる。
 世田谷学園ブラバンの演奏にのせて、声変わりをして太い声になったばかりのスタンドの選手達が歌う応援歌は真夏の日光の下に素晴らしく似合っている。共学の創価高校は私が高校球児だった20年前には、チアガールが健康な柔肌を日光にさらして舞っていたような気がするのだが、この度はいなかった。赤いポロシャツを着たブラバンを力強く指揮している女性が目立っているだけだった。
 夏の日光、白球を懸命に追う球児達の姿、ブラバンの演奏、応援歌、観客の様々な姿、球場の自由なまでの広さが視覚、聴覚、触覚を刺激して、酔いに似た心地にさせる。
 進路に関わる高校三年間を野球ばかりして大丈夫なのか? という疑問は、社会人生活で苦労している私としては脳裏に浮かんでくる。進学、進路に命をかけている人達からすれば無智蒙昧にも見えるだろう。しかし、それを讃美している観客の姿は、力を蓄えている強さが垣間見えるのだ。生の充実した怒りに似た表情をしている。きっと、高校野球は素晴らしいものだ。日本のディオニュソス的な力が現れている。高校球児が懸命にプレーする姿の向こうに、ディオニュソスの神が現れることを期待して……

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ