nyoraikunのブログ

日々に出会った美を追求していく!

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劇団四季「カモメに飛ぶことを教えた猫」を観て

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 劇団四季『カモメに飛ぶことを教えた猫』が泣けるという評判だから、調布公演を観に行った。劇場内が混み合っていて、中になかなか入れない。劇団四季の実力は、全国津々浦々折り紙付きなのだろうかと思った。 開演して赤ちゃんの泣き声が方々からする。全席の若く綺麗なご婦人は、赤ちゃんを抱っこして宥めてを繰り返していたが、いよいよ泣き叫び出すと、立ち上がって外に出て行った。赤ちゃんに見せるには、幼すぎるから、彼女自身が観たくて来たのだろうか? 結婚すると多かれ少なかれ行動を制約されるものなのだろう。

 ファミリーミュージカルというだけあって、子供を連れた家族連れが多い。男性の数は全体の3分の1ぐらいだ。ディズニーランドに1人で来たように場違いな気分だ。

 卵を抱えたツバメから育てることを託された猫ゾルバが、卵から1羽の空飛ぶツバメに育て上げる話である。飛ぶようにいくら援助しても、飛び上がることができないツバメ(フォルトゥナータ)が、最後飛べるようになるには、燈台の高いところから落とすしかないことをチンパンジー(マチアス)にゾルバが教わるところの展開は素晴らしい。

 マチアスは、猫を憎むネズミたちのボスとして君臨していた。ツバメを飛ぶ方法を知りたければ、尻尾を持ってこいとゾルバに言う、恐ろしいほどの敵役であるのだ。猫達が私達の尻尾をすべて切らせるから、教えろと言い募ると、その心に打たれたマチアスは、空飛ぶツバメの真実を述べる。パイロットと共に空を飛んでいた頃から落ちぶれたと思い込み、飲んだくれになっていたマチアスの心にも赤心があるのだ。

 これまで、美辞麗句で飾られた芝居が続き、このまま猫達の愛に包まれて空を飛べたというオチだろうと高をくくって観ていた私は、クライマックスでツバメ(フォルトゥナータ)が大空を飛んで欲しいと心から思えた。

 殻を破る大切さを伝えるミュージカルと言われているが、親子愛のあり方を問いかけてくるようにも思えた。父親が45歳の時に生まれた私は、溺愛されて育った。阪神タイガースの選手になることを期待され、高校3年生まで、試合になると球場に足を運んでくれた。大学1年で野球を辞めた時に、がっかりした父の姿を今でも覚えている。私は飛べなかった。

 ライオンは子を崖の下に突き落とすという。学生の頃、教育の比喩として良く耳にした。しかし、人間が今日、地球上でここまで力を得たのは、弱と強が対になって発展してきたところにある。人間以外の動物において、弱いというのはすぐ死と結びついている。未開社会においても、動物レベルで弱くても、頭の方がいいと、まじない師になったり、医術を売りにして、バンドの価値ある一員として生きていこうとする。職業に貴賤はないという言葉から偽善を思うけれど、様々な弱と強が対になる力を発見した唯一の動物が人間だったのだ。

 ミュージカルの話から脱線して申し訳ない。芝居を終えてロビーでは役者達が待って、出てくるお客と握手をしている光景があった。

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エネマグラ

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 JR立川駅北口を出てすぐ右方にある狭い路地を通ると、右手には電車線路が金網越しに見え、左手は、パブや飲み屋、ピンクサロンカラオケボックスの店々が低く軒を争っている。私が歩いていると、肩を叩く者がいた。私と同じ二十七歳ぐらいの眼鏡をかけた男であった。笑みを絶やさないので、以前の知り合いかと思いを巡らせた。小学校、中学校、高校、大学と咄嗟に振り返ったけれど、浮かんでくるものはなかった。今日の遊ぶ場所はお決まりですかと恥じらいを含んだ言葉で話かけてくる。左に目を向けると、『風俗案内所』とあった。
 そうであった。私は今から六ヵ月ほど前に、この店にいた別の店員に、女子高生と遊べる風俗の店はないかと聞いたことがあった。プラットホームではしゃいでいる女子高生二人組に色欲を感じたばかりであった。お店までご紹介しますと黒服を着て、無精髭をはやした中年の男が前を歩こうとしたので、私は断った。彼と歩いている姿を誰かに見られたらと想像するだけで嫌だった。
 私は携帯電話のEZWebにアクセスし、風俗情報掲示板を閲覧して、好みのイメージクラブを選んだ。店のある十二階建のビルに足を運ぶと、先ほどの店員とばったり会った。客である男を挟み、店員は私のことを侮蔑された者が怒りを堪えるような目で見てきた。
 1001と金字で記されたドアを開けると、中は会社のオフィスのようで、いかがわしさはまるでない。ただ、そこの店員も黒服を着ていた。番号札を渡され、控室で待っていた。しばらくして私は呼ばれた。その黒服の店員は丁寧な物腰で言葉遣いが綺麗なものだから、風俗店の受付ではなく、もっといい仕事がありそうなものだと思った。彼はデスクの上に立川駅周辺の詳細な地図を広げた。いたるところに赤黄緑の蛍光線が引かれている。
「当店の女性をデリバリーする際に使用するホテルです。赤はハイ、黄はミドル、緑はリーズナブルなホテルです」
「立川で最も安いホテルでいいのですが」
「ここになります」
 
 そのとき、店員が指差したホテルへ、これから行こうとするのだ。夜行性の昆虫が電灯の明かりに吸い寄せられるように、何の思慮もなく私は歩いていた。正面に赤煉瓦でモダンなビルがある。その横の橋を渡ると、急にネオンのサインが断たれ、繁華街の溜息のように無機質な雰囲気になった。丘の下には、一戸建ての家が暗闇の中どこまでも広がっている。電灯の小さな明かりが幽霊火のようで、足を踏み入れることを躊躇させる。その中
で、蛍光灯のホテルの看板が不意についた懐中電灯の光のように私の目に入った。私は長い階段を降りて、食品工場のがらんとした建物を横に、ホテルに向かって歩いた。道行く人は誰もいない。遠くに軒が低く扁平な安ホテルが見えた。女性の肩に腕を回し中に入る男の姿が目についた。私は一緒に入る女性がいない。けれども、初めて麻薬を嗜むに似た戦きと未知の快感に接する期待があった。語弊があるけれど、女性と男性を一人二役でやろうということだ。

 ホテルの部屋に入ると、谷間の宿のように寒く、すぐに冷暖房のリモコンを探した。初めに手に取ったリモコンは、テレビのものであった。私はベッドの上へ腹立ちまぎれにそれを投げつけた。そのままの勢いでベッドに倒れ込むと、女性の喘ぐ声や脚がうごめくたびに、シーツに皴が寄る様が脳裏にひらめいた。私は芋虫のように身をくねらせて、枕元にあるもう一つのリモコンに片手を伸ばした。
 室温を二十五度の暖房にセットして、起動のボタンを押すと、しばらくしてから生温かい風が吹き下りてきた。私は二時間のあいだに、エネマグラを肛門へ挿しこみ、ドライエクスタシーに達しなくてはならぬ。説明書の実行方法の一~十二を抜き書きしてみよう。
『一、まず直腸が空であることを確認してください。普通便意を催すとき以外は直腸内部はきれいですが、更に清潔を好む方は直腸洗浄器で直腸内を簡単に洗い流してください。二、横向きに横たわり膝をお腹につけるような格好をしてください。三、潤滑剤を肛門の周り、中、及びエネマグラの頭部につけてください。四、エネマグラの会陰刺激用脚部を前方に向け、エネマグラ頭部を少しずつ出し入れしながら肛門内に入れてください。1/3位が入ると、あとは自動的に直腸内に引き込まれ、前立腺、射精管、直腸前壁、会陰部が直接刺激されます。10~15分そのままの状態でいてください。しばらく両手は体に接触しないでください。肛門は快感のため時々ピクピクと動きます。その動きが直接前立腺、射精管勃起誘発神経点に伝わり、その都度激しい未経験のオルガスムスを感じます。全身は硬直します。時々エネマグラを抜いて潤滑剤を補充してください。六、空いている両手でペニス、乳首、睾丸などを刺激してください。ペニスは射精を誘発するので、亀頭縁部を軽く接触する位にしてください。乳首が敏感な人は更に恵まれています。指先による乳首の軽いマッサージは直接肛門、前立腺に響きます。睾丸を両股間で締め付けると更に快感が増大する人もいます。七、十五分位経過後、肛門を少しずつ収縮してください。エネマグラ頭部は更に深く直腸内に引き込まれます。会陰部は突き上げられ、鍼、指圧効果を受けます。エネマグラ頭部頂点及びなだらかな突起部は前立腺、射精管表面を圧迫しながら上方に移動します。超敏感点に接触すると全身中の腺が収縮します。唾液腺までが射出反応を示します。ホルモンもどっと射出されると推察されます。前立腺、射精管、会陰の同時刺激が激快感の秘密です。八、肛門を緩めると頭部は直腸内を下方向けに刺激、異なった快感を与えます。九、この超快感に耐えるには体力が必要です。時々そのままで休んでください。十分もすると体力が回復し、またもやオルガスムスが起きます。オルガスムスの繰り返しは延々と続きます。多くの場合長くても一時間半位で止めることをお勧めします。射精は最後にします。エネマグラを入れた状態で肛門を締め付け、お好みの方法でペニスに刺激を与えてください。パートナーがおられる方はエネマグラを挿入したまま正常位、後側位、後背位等で膣内射精も行えます。射精が近くなるとまず肛門部に数回の強い自発的収縮を感じた後、引き続き射精が起こります。射精時直腸は収縮、前立腺、肛門は収縮膨張の繰り返しを行います。エネマグラ頭部は膨張弛緩する前立腺の変化に合わせ圧迫するので、射精は強力で、五蔵六腑が引き出される位の激しいオルガスムスが得られます。十、使用中かなりの量の前立腺液、カウパー氏液が流出します。また、長時間に及ぶ全身緊張で筋肉内エネルギー消費のため、老廃物が血液内に排出され全身が浄化されます。十一、以上のオナニーはこのエネマグラ本来目的である前立腺障害治療にかなりの効果があり、精力が増した、勃起力が戻った、尿の出、利尿作用が良くなった等の年輩の方々からの報告があります。十二、時間をみて是非一回は試してみてください。無駄ではないはずです。もしこれで快感が得られない方には特殊なペニスカテーテル併用による初期化の方法をお知らせします。尿道への雑菌感染をさけるために注意がいる方法ですが、効果的です。』
 インターネットのエネマグラ愛好家のサイトでは、女性のエクスタシーを男に生まれながら味わえると絶賛していた。私は中学二年生の七月二十二日木曜日に初めて射精の快感を味わったが、いつも絶頂に至る際、女性の喘ぐ顔が脳裏をよぎるのである。私は小学校六年生の秋口に初めて友人の自宅でアダルトビデオを観た。男優の顔は一切映らなかった。たびたび女性の苦しそうな歪みの頬、何度も拒んでいるように求めて振る首、神々しいものを捉えているように時々開いた瞼から覗かれる満ち足りた目、何の感情も示さずに、帆柱のようにたゆたう鼻が印象的であった。初めてのマスターペーションでクラスの好きな女の子の喘ぐ顔が刹那浮かんだのは、アダルトビデオをそれ以前に見ていたことと無縁ではあるまい。
 何故、日にちと曜日まで覚えているか。その日の夜、父親の誕生日祝いのため、お寿司の出前を頼んだ。出前持が配達しに来たであろうチャイムが鳴った。私はトイレにいた。便器に座り踏んばると、下痢が出た。それがいつまでも続いた。すぐに灌腸でもしたかのように、また下痢が出た。目まいが生じると、私は唯事ではないと思い便器の中を覗いた。すると、白い陶器のパレットに滴る花びらのように赤い血が散乱していた。お尻を拭いたトイレットペーパーを見ると、日の丸の模様である。部屋に戻り横になっていると、また便意を催した。トイレの椅子に座ると、大量の浣腸液が噴き出るように血が迸った。また目まいが起こり、私はそのまま前のめりになった。うずくまった状態で、しばらくいると、トイレのドアが開いた。母親が大丈夫と大きな声を立てた。続いて父親がどうしたと近づいてくる足音が聞こえた。私はそのとき、母親にちんちんを見られたことはあまりないなと思って、意識を失った。

 エネマグラを挿入すると、肛門に熱が走った。説明書にあるよう深呼吸に時間をかけてする。胸中に寒気が忍び寄る。寂しさが募ると、隣で肝臓が病んでいる近藤君が寝ているように思えた。肛門から血を流して入院した私の隣のベッドには、一つ年上の近藤君がいた。病室でエロ本を二人で読んでいたことがあった。看護婦がカーテンを開ける音に焦り、掛け布団の下に隠して睨まれたことが、平和な思い出となってよみがえってくる。
 私はため息をついて、笑みを浮かべた。近藤君はエロ本の四コマ漫画吹き出しにズッコンバッコンと書かれているのに興を催し、朝、私と会うとズッコンバッコンと挨拶をして笑っていた。初対面の彼は、挨拶をする私に怪訝な顔をしてすぐテレビを無表情に眺めていた。けれども、甲高い声でズッコンバッコンという挨拶をするようになってからは、この世の宝物を探し見つけたような満面の笑みになるのであった。その顔は素敵滅法であった。
 
 十五分が経過した。肛門を少しずつ収縮する。エネマグラ頭部が直腸内に引き込まれていく。息がつまる他は何も起こらない。先程、エネマグラ挿入の際、塗りたくったエネマグラローションが肛門からじわりと流れるだけである。私はうつ伏せになり、猫のように両手をついて、両膝を支えにして、お尻をゆっくり持ち上げた。胸を揉んでから、乳首を人差し指の長く伸びた爪で掻いてみせた。瞬時、緊張したが、それは股下を吹き抜ける生温かい暖房の風のせいである。全身の力を一気に抜くと、銃で頭部を撃たれたように、うつ伏せに倒れた。エネマグラが直腸に突き立った。
お腹にカメラを入れて、大腸内のポリープを除去する手術を私は受けた。あのホースのような太さのカメラが肛門に挿入されたときの腹部の張りを思い出す。
 お尻の重さも、この寒い時期は腰の痛みに通じるよ。うつ伏せで寝ると腰を治すのにいいと医者は言うけれど、お尻が重いからかえって腰を痛めるんだよ、と会社の同僚が今朝話していた。その男が私の上司に連れていってもらった風俗店で童貞を捨てたのである。女の名前はナナと言った。彼が店に行く一週間前に私はその女とやったのだ。
 私はボーナスが出ると上司を風俗店に招待した。モノレール立川駅南口を降りて、グランディオの看板に背を向けて歩くと、右手に中国人の青年が立っている。彼が店長である。その建物の五階が店であるけれど看板はない。店長に店名を問うと、レモンとどもりながら答えた。私たちが店に入ると、すぐ扉に鍵をかけた。女性の韓国語の声が中からする。店長は入口を遮っているカーテンを押しのけた。狭い通りが十メートルほど続いている。左方にベッドルームらしき部屋の入口が三つほどあり、カーテンで簡易に遮られている。右方には、シャワールームが二室取り付けられている。その一室には明かりがともり、閉められたガラス扉の隙間から湯気が立っている。
 しばらくして店長が出てきて、机の引き出しを急いで開ける。すると五葉の写真を取り出して並べ、私たちに示した。驚いた! 五葉の写真のうち、一葉を抜かしてすべて私はやったことがあった。上司の目は真剣さを増して、少しの間考えてから、そのうちの一葉を指差した。私はまた驚いた。見事に私が手をつけていない女を上司が選んだからである。
 ……私は再度ナナを選んだ。他の女性は皆外国人であったけれど、彼女だけは日本人である。ナナの右腕には、小さな緑色をした雷の刺青があった。腕や太腿の肉付きがよく、お腹はそれに比して引っこんでいた。彼女がシャワーを浴びている後ろから私は両手で両方の胸を鷲掴みした。ナナは腕を返して前へ出ると、サービスが受けられないよと笑った。ことの後で、ナナは前回よろしく私のことをすべてが格好いいと褒めた。目も口も鼻も背も全部を私のものにしたいわと真剣なまなざしになった。私の若くして禿げている頭に手をやってから女の子は髪のあるなしなんて気にしないわと言った。そして、髪をだるそうにかきあげた。左腕にある雷の刺青が二の腕の張りによって大きくなった。シャワー室のレモンシャンプーの匂いが鼻先を掠めた。 
「この緑色をした雷には何の意味があるの」
 ナナは私の顔を覗いて、猫のように首を前に向けて、溜息をついた。知りたい? と挑発するように目を大きくした。けた。私が頷くと、ダメェと声のトーンを一定にして、これだけは言えないよと泣きそうになった。彼女の太腿と二の腕が陸に打ち上げられたクジラの死体に思えた。顔の表情が元気に動くと、他の身体の器官が機能しないような薄気味悪さがあった。ナナは私の顔を覗いて、知りたいの? と鼻声で聞いてくる。私はお酒に酔ったように首を振った。

 エネマグラを肛門に挿していると、糞が詰まっているような感じがするだけである。ナナも私が挿入すると感じているようで、商売女らしく、そう振舞っていただけかもしれない。枕元にある携帯が急に振動した。手に取ると、会社の上司からである。出る気がしないので、そのまま黙って上司の名前と電話番号が表示された画面を眺めていた。なぜこんな奴に生活の大半を支配されねばならないのか疑問を持った。振動が収まると、通常の画面に時計が大きく表示された。午前零時十分前であった。午後十時に部屋に入ったのであるから、制限時間十分前である。急いで出なければならぬ。エネマグラを肛門から抜いて、白いベッドの上へ放り投げた。それは手の石膏のように目立たず、何かを示していた。
 衣服を着てバッグを肩に担ぎ玄関のドアを開けようとした。すると、若い男女の声が聞こえる。あの甲高い声が聞こえる。近藤君である。あの笑い方、あの鼻声、まぎれもなく女はナナであった。私は無我夢中でドアのノブに手をかけて、ひねりながら押した。開かない! 逆にひねっていた。それでも構わずに、ドアをひたすら押した。地震でも起きたかのように大きな音を立てた。気が静まると、ゆっくりとノブを正しく回してから、急いで外へ飛び出した。
 もう近藤君とナナは消えていなくなっていた。ただ誰もいない寒々としたホテルの廊下に、何の彩色もない茶色の絨毯が、酔って倒れた中年の男性のように、身動きなく敷かれているのである。

婚活! 初めてのディズニーは彼女と行きたい!

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日比谷公園で気を休めてから行こうと思い池水を覗き込むとゴミがいくつも沈んでいる。

ツヴァイの出会いセッティングサービスで初めての好感触を得た。相手は28歳の女性である。私より10歳も若い。相手の希望年齢外であったから、無理を承知で申し込んでみた。ソフトボール部というから、野球部だった私と気が合うのではないか? 容姿も写真を見る限り、普通である。

また日比谷の支店で会うことになった。始まって数分で会話が途切れて、やきもきするうちにサヨウナラということにならなければいいがと不安の中、彼女が到着した。その30分前に、トイレに行く際、彼女とすれ違ったのだ。気づいたが、知らんぷりして通り過ぎた。便器に座り踏ん張りながら、考えた。容姿も悪くない。何故、アラフォーの私と会ってくれるのかわからなかった。この時、いきんだことが原因かもしれない。翌日、いぼ痔になって病院に行った。

会うと彼女は気だるい口調で話し始める。

「スーパーのことよく知っているよ、私の両親はスーパーで働いていたから、それにしても疲れたね。新橋からここまで歩いてきたから」

新橋から30分もかけて歩くのだから健康なのだろう。それにしても、だるそうに話し始めるのだから、この場にくること自体、不本意なのだろうか? 皆、そうだろう。私も自然に出会えるのが良かったけど、そういかないから、時短を求めて、ツヴァイのサービスを受けているのだ。

「写真はオランダで撮られたんですか」

「えっ」

「オランダの風景かなと思ったから」

「ディズニーシーを知りませんか?」

私はディズニーランドにすら行ったことがないのだ。行きたいから一緒に行きませんかと聞くと、いいよと二つ返事で受け入れる。ポケモンの映画が観たいからというので、一緒にぜひ行きましょうよと聞くと、いいよと首を少し動かす。どんなことを頼んでも承諾してくれそうな雰囲気、これは初めての経験である。

30分が経過した。番号を教えて欲しいというと、何を教えればいいのとダルそうに聞いてくるから、電話番号を交換した。

外に出て、東京駅までタクシーを拾おうとすると、勿体ないからと私の肩に手をやる。

有楽町駅までの高架下を、彼女と肩を並べて歩いた。途中で、お茶でもしないとたずねると、任せるということだから、先にあった珈琲館に入った。メニューの数が多くて選ぶのに迷った。ちょうど、隣の席では雑誌の取材が始まっていた。オシャレなケーキやパンを、様々な角度から撮影している。

彼女はココアを、私は豆乳を注文した。

好きな本は『カシオペアの丘』、好きな映画は『泣くな赤鬼』ということ。ハリウッド映画のピカチュウも面白かったそうだ。backstreetboysの日本公演が10月にあるから、埼玉、大阪の2枚のチケットを予約したけど、もっといい席だった良かったとしんどそうな顔をする。チケット流通センターで高額になるけど、いい席がゲットできるよと言っても、そのサイトすら知らないということだ。転売の禁止法もできたし、大阪まで行って入れなかったら元も子もないからねということで意見の一致をみた。

他の会話がかみ合っていたとは言えない。休日は、録り溜めたドラマを観て楽しんでいるようだけど、私は高校の頃、反町隆史主演のGTO以来、テレビドラマを観たことがない。

三島由紀夫が好きで、ドキュメンタリー番組なら観ると恥ずかしそうに言うと、難しいのが好きなんだねと険しい表情をする。緊張すると水を飲み過ぎるから、3度もトイレ休憩に立った。3度目、席に戻ると、彼女は帰ろうとバッグを懐に抱えていた。

隣で取材班と店主の話声が大きく響いてくるように感じた。

会計の席で、私が払うと手で合図をすると、また嫌な顔をする。また無理かなと思った。

東京駅まで一緒に行く間にも、彼女はずっと黙っている。とにかく悩み疲れているようなのだ。私のブログに書いた『蒋麗』のように!

 

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彼女とディズニーランドに行ける日は来るのだろうか?

浜松町駅から銀座までの散歩②

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ハナマサというスーパーに入るとさすが銀座だと思った。鮮度のいい魚がそのままパックされて棚に並んでいる。

地下はすべて精肉売場で、店員が多く、写真撮影をすることが出来ない。豚の脚が4本2000円で販売していた。これから食べる懐石くずしとして名高い神谷の料理が楽しみになる。

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「高いなぁ、1000万超えているよ!」

背後から若いカップルの声が聞こえる。

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こんなデパートに幼い頃から戯れている人は育ちがいいのだろうなぁ。

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銀のウェアーインパクト最高。顔まで銀で覆っている。ソフィスティケートとはまさにこのことか!この通りを毎日歩いていれば、都会っ子になれるよ!

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行楽に行きたくなる。旅行したいね✈️

秋の嵐山、南の海のサンゴ礁、何か感じません?

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神谷 昌孝 氏 カミヤ マサタカ


日本料理界のトップを50年以上走り続けてきた巨匠
1947年、愛知県生まれ。幼少から料理が好きで15歳で愛知県の料亭【千歳楼】にて修行を始める。年功序列の、日本料理の修業が長く厳しかった時代に20代にして料理長となり、京都、名古屋、赤坂の数々の名店で腕を振るう。その後、独立してからはミシュランの星を取り続けてきた実力派の料理人。神谷の伝統に革新を織り込んだ料理を学びたい者はあとを絶たず、数々の調理師学校の特別講師を30年以上つとめ多数の料理人を育ててきた。
専門ジャンル
日本料理・懐石・割烹
経験年数
57年
著者・出演
ミシュランガイド
大手スーパーやファミレスの顧問、テレビや料理専門雑誌でも活躍中。

 

ガラス越しに厨房がすべて見えるようになっている。理想は、格好よく料理しているところを見せることで出来立ての鮮度感を醸し出し、客に安心安全をアピールしたいのだろう。

けれども、神谷料理長は、フライを試食しては厚いと怒りだし、もたもたしている若手を怒鳴りつけ、客への応対が悪いとその場で説教を始める。血圧が心配になるほど苛々しているが、客の話すときだけ温和な笑みを浮かべる。部下の料理人の人達の顔が青ざめている。

神谷料理長はフライ料理の皿を持って、今日はどうされました? と私の前に置いた。

芝居を見た帰りに寄りました。有名なお店で食事をしてみたくてと言葉を添えると、刹那、神谷の目が鋭くなった。

「魚屋で普段働いているもので、勉強にもなります」

「それはスズキだけど、フライにしたんだ」

一口噛むとスズキと辛子酢味噌が合わさって、旨味が口の中に広がった。一切でこれだけの口福になれる魚だと考えたことも無かった。今からスズキを見る目が変わるだろう👀

料理長神谷のはからいで炙り寿司が1貫増えて6貫になった。

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シマアジが美味しかった。普段、魚屋で働く私は、毎日卸しているシマアジ一切れがこれほど美味しいものだとは信じられない。

神谷の態度には、賛否両論あるだろうが、口に入れるものだから安心して食べたいのに、料理人がなぁなぁでやっていては、心配であるし、これぐらいの妥協をしない厳しさが銀座で生き残っていく上で必要なのだろう!

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銀座の商品ディスプレイ、建築物、どれをとってもセンスある!関心していると、銀座和光の時計台の鐘が午後7時を告げる。

明日、早いし早く寝ようと思った。

 

 

 

浜松町駅から銀座まで散歩①

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浜松町町北口に、碧の調べが置いてある。一色邦彦の作品である。氏は女体の美を平和的に表した作品が多いとか!

あどけなく笑みを浮かべる少女は髪に手をやり何かを待っている。性の自覚はまだ漠然としていて、親戚の家を訪ねた夏の暑い日に、出てくるお茶を待つ間のちょっとした緊張が正座する腿の膨らみに表れている。

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劇団四季「エビータ」を自由劇場で観終わった後、浜離宮恩賜公園を散歩する。中の御門橋から入って、真直ぐ行く。突き当りを右に歩くと、鷹のお茶屋に出るのだ。

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江戸時代、歴代の将軍は、ここで鷹狩りをして楽しんだ。最高の娯楽であったのだろう。鷹をしつけて鴨を狩るというのは、自然と闘い克服して人為を建設する力をつけてきた人類の端的な喜びでもある。自然を意のままに操りたいと願う普遍的願いは、ポケモンの世界的ヒットに示される。

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外国人の旅行者が座敷に寝そべりマッタリしていました!観光立国に近づいてきたのか!

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ここが大手門橋!正門だった。

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正門から少し歩いたところに奇抜な建物がある。外国人の方達がカメラを多く向けている。

次回は銀座散歩です!

 

劇団四季 「エビータ」を観て

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6月28日(金)のチケットを流通センターから手に入れた。S席15列で14000円だった。公演日の3日前で正面5列目の優良チケットが12500円で売りに出ていたから悔しかった。

 もともとチケピュアでペア売りに出ていたものを流通センターで1枚13000円だったら必ず売れるからと説得してバラ売りしてくれた経緯があったから自分の座る席に申し訳ない気持ちもある。

貧しい農村の私生児として生まれたエビータが大統領夫人になり権勢を振るうまでを追っていくミュージカルである。いくつもの男性と関係を持ちそれを踏み台にしてのし上がっていく姿は頼もしいけれど、観客の感情移入を誘うには、エビータ役の谷原志音に女性としての圧倒的な魅力が求められる。ソウル芸術大学の声楽科を出た韓国人の彼女は、終始、気品ある雰囲気で容姿も歌声も稀なほど美しかった。けれどもあと身長が10センチあればいいと考えてしまう。少しでも欠点があると、嘘臭くて見ていられなくなる芝居なのだ。

  大統領夫人として愛されたエビータは、富裕層から資産を奪い、貧しい人々へそれを分配した。資金のばら撒きによって、民衆からは聖女として崇められる。

 演出を手掛けた故浅利慶太は、共に共産党の活動をしていて自殺した妹への想いをエビータに託しているのかもしれない。

印象に強く残った場面は、冒頭にエビータの棺が運ばれているのを、「こいつはサーカス」としてエビータの一生の是非を問いかけるチェ・ゲバラの歌である。

Oh What A Circus (Evita - 1996) - YouTube

そして有名なエビータが台上でで高らかに歌う「共にいてアルゼンチーナ」はメロディを聴くだけで胸が熱くなる。

Madonna - Don't Cry For Me Argentina (Official Music Video) - YouTube

紙幣を貧しい民衆にばら撒きながらの「金はでていく湯水のように」のメロディは爽快で、金なんか木の葉のごとく軽いという気分にさせる。

Madonna - Evita - 14. And the Money Kept Rolling In and Out (1996) - YouTube

この芝居は他が100点でもエビータ役の女優が50点なら総合点も50点になるほど主役の魅力にすべてかかっていると思った。

以前、三島由紀夫追悼公演で、「薔薇と海賊」を観に行ったことがある。障害者の憧れる女性の役を三島と親交の厚かった水原八重子が60の齢で熱演していて違和感を覚えたことがある。史実のエビータの全盛期が欧州を訪問した28歳とすると、それに近い年齢の女優であって欲しいと考えていた。まさか浅利慶太の奥さんであった野村玲子ではないかと不安を抱いていた。

谷原志音でまだ良かったと思う。また今度、エビータの役者が変わる時にでも観てみたい。

 

 

NHK『三島由紀夫×川端康成 運命の物語』をみて

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川端康成が受賞することを、むしろ三島は喜んだと思う。日本の美しい古典からインスピレーションを受けて書いてきた川端が受賞することは、同じく日本文化の井戸の深遠の底にとぐろを巻く蛇からインスピレーションを受けて、文学に命を懸けてきたという三島からすれば、自分が認められたことと同じと考えたはずだ。

 ノーベル文学賞は平和賞の趣きを呈していて、受賞するには、平和に貢献するような影響力が求められる。間違ってもマルキド・サド、マゾッホ等の文学としては世界史に残るような一級品であっても、受賞することはない。三島が40歳になる前から自衛隊と活動を共にし、書く内容に政治色が濃くなっていったのだから、ノーベル賞をとることなんて少しも考えていなかったのだろう。番組では、川端がノーベル賞を譲ってくれと言ってきたのが本当だとしても、三島は喜んだはずだろう。

 三島由紀夫文学館で、三島の書斎が再現されていた。日本の古典が本棚にぎっしりと埋まっていたことを覚えている。

アメリカの占領によって欧米の文化に日本が染まり、ますます日本人は商売(金儲け)のためだけに精を出すようになっていった。原爆を知る国民だから、武器の前の絶対の無力を知らされたということも関係あるだろう。天皇を中心とした文化と伝統を守るために立ち上がれといくら市谷駐屯地内の東部方面総監部のバルコニーで叫んだって誰も聞くものはいなかった。

 日本文化の伝統を愛し、そこから自らの作品を紡いできた三島としては、自分の全生涯を否定されていく気持ちであったのではないだろうか。死の一週間前の古林尚との対談で、自分はローマ帝国最後の詩人であるペトロニウスみたいなもので、日本語が身体に入っている最後の世代だから、これからくる国際化、抽象主義の時代に書くものは一つもない、安部公房なんかは、そっちに行っていますよ、もうくたびれ果ててというような言葉を残している。

 人生のすべてである日本文化のために楯の会を設立して命懸けで取り組んでいることを、同志であるはずの川端康成が共感しないことを理解できなかったはずだ。楯の会の周年祭にゲストとしての出席依頼を川端は断った。心の支えにしていた川端康成ノーベル賞を受けて、ペンクラブの会長になって、自身の名声を守る立派な俗物になっていると落胆しただろう。なぜ一緒に闘って、日本の美しさを守ろうとしないのだと。そうしなければ、私達は書くこと(生きること)すらできないではないかと。

 バルコニーで叫ぶ姿をテレビでみると、あんなに孤独な男の姿をみたことがないと思う。腹を切るというケジメは、日本人最後の男子としての姿という自身への皮肉でもあった。戦場にいけずに、多くの仲間を失った自分が、日本文化を守る最後の一兵卒として、腹を切ってみせたのだった。

 

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