nyoraikunのブログ

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劇団四季 「エビータ」を観て

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6月28日(金)のチケットを流通センターから手に入れた。S席15列で14000円だった。公演日の3日前で正面5列目の優良チケットが12500円で売りに出ていたから悔しかった。

 もともとチケピュアでペア売りに出ていたものを流通センターで1枚13000円だったら必ず売れるからと説得してバラ売りしてくれた経緯があったから自分の座る席に申し訳ない気持ちもある。

貧しい農村の私生児として生まれたエビータが大統領夫人になり権勢を振るうまでを追っていくミュージカルである。いくつもの男性と関係を持ちそれを踏み台にしてのし上がっていく姿は頼もしいけれど、観客の感情移入を誘うには、エビータ役の谷原志音に女性としての圧倒的な魅力が求められる。ソウル芸術大学の声楽科を出た韓国人の彼女は、終始、気品ある雰囲気で容姿も歌声も稀なほど美しかった。けれどもあと身長が10センチあればいいと考えてしまう。少しでも欠点があると、嘘臭くて見ていられなくなる芝居なのだ。

  大統領夫人として愛されたエビータは、富裕層から資産を奪い、貧しい人々へそれを分配した。資金のばら撒きによって、民衆からは聖女として崇められる。

 演出を手掛けた故浅利慶太は、共に共産党の活動をしていて自殺した妹への想いをエビータに託しているのかもしれない。

印象に強く残った場面は、冒頭にエビータの棺が運ばれているのを、「こいつはサーカス」としてエビータの一生の是非を問いかけるチェ・ゲバラの歌である。

Oh What A Circus (Evita - 1996) - YouTube

そして有名なエビータが台上でで高らかに歌う「共にいてアルゼンチーナ」はメロディを聴くだけで胸が熱くなる。

Madonna - Don't Cry For Me Argentina (Official Music Video) - YouTube

紙幣を貧しい民衆にばら撒きながらの「金はでていく湯水のように」のメロディは爽快で、金なんか木の葉のごとく軽いという気分にさせる。

Madonna - Evita - 14. And the Money Kept Rolling In and Out (1996) - YouTube

この芝居は他が100点でもエビータ役の女優が50点なら総合点も50点になるほど主役の魅力にすべてかかっていると思った。

以前、三島由紀夫追悼公演で、「薔薇と海賊」を観に行ったことがある。障害者の憧れる女性の役を三島と親交の厚かった水原八重子が60の齢で熱演していて違和感を覚えたことがある。史実のエビータの全盛期が欧州を訪問した28歳とすると、それに近い年齢の女優であって欲しいと考えていた。まさか浅利慶太の奥さんであった野村玲子ではないかと不安を抱いていた。

谷原志音でまだ良かったと思う。また今度、エビータの役者が変わる時にでも観てみたい。

 

 

NHK『三島由紀夫×川端康成 運命の物語』をみて

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川端康成が受賞することを、むしろ三島は喜んだと思う。日本の美しい古典からインスピレーションを受けて書いてきた川端が受賞することは、同じく日本文化の井戸の深遠の底にとぐろを巻く蛇からインスピレーションを受けて、文学に命を懸けてきたという三島からすれば、自分が認められたことと同じと考えたはずだ。

 ノーベル文学賞は平和賞の趣きを呈していて、受賞するには、平和に貢献するような影響力が求められる。間違ってもマルキド・サド、マゾッホ等の文学としては世界史に残るような一級品であっても、受賞することはない。三島が40歳になる前から自衛隊と活動を共にし、書く内容に政治色が濃くなっていったのだから、ノーベル賞をとることなんて少しも考えていなかったのだろう。番組では、川端がノーベル賞を譲ってくれと言ってきたのが本当だとしても、三島は喜んだはずだろう。

 三島由紀夫文学館で、三島の書斎が再現されていた。日本の古典が本棚にぎっしりと埋まっていたことを覚えている。

アメリカの占領によって欧米の文化に日本が染まり、ますます日本人は商売(金儲け)のためだけに精を出すようになっていった。原爆を知る国民だから、武器の前の絶対の無力を知らされたということも関係あるだろう。天皇を中心とした文化と伝統を守るために立ち上がれといくら市谷駐屯地内の東部方面総監部のバルコニーで叫んだって誰も聞くものはいなかった。

 日本文化の伝統を愛し、そこから自らの作品を紡いできた三島としては、自分の全生涯を否定されていく気持ちであったのではないだろうか。死の一週間前の古林尚との対談で、自分はローマ帝国最後の詩人であるペトロニウスみたいなもので、日本語が身体に入っている最後の世代だから、これからくる国際化、抽象主義の時代に書くものは一つもない、安部公房なんかは、そっちに行っていますよ、もうくたびれ果ててというような言葉を残している。

 人生のすべてである日本文化のために楯の会を設立して命懸けで取り組んでいることを、同志であるはずの川端康成が共感しないことを理解できなかったはずだ。楯の会の周年祭にゲストとしての出席依頼を川端は断った。心の支えにしていた川端康成ノーベル賞を受けて、ペンクラブの会長になって、自身の名声を守る立派な俗物になっていると落胆しただろう。なぜ一緒に闘って、日本の美しさを守ろうとしないのだと。そうしなければ、私達は書くこと(生きること)すらできないではないかと。

 バルコニーで叫ぶ姿をテレビでみると、あんなに孤独な男の姿をみたことがないと思う。腹を切るというケジメは、日本人最後の男子としての姿という自身への皮肉でもあった。戦場にいけずに、多くの仲間を失った自分が、日本文化を守る最後の一兵卒として、腹を切ってみせたのだった。

 

杉良太郎と権力及び献血

 83歳の父親が運転免許更新のため府中から立川の警察署まで車に行くのに乗せていって欲しいというから午前10時に眠気をこらえて家を後にした。府中運転免許更新場は混雑していて、新しい免許証を配布する時間は午後1時ということになった。前回は、立川警察署であったから、人も少なくすんなりと手続きが終えたから、面を食らった形である。

 ひねくれた見方は良くないけど、杉良太郎は、高齢者の免許返納や、詐欺被害撲滅運動に対してすぐ名乗りをあげて、政府の飼い慣らされた犬のように、権力への結びつきをより強固にしようと画策しているようである。子供がいないと、より利己的に考えて行動できるのか、彼は74歳だけど生彩を放っているように見えるのだ。テレビでしか見ていないのだから、はっきりはわからないけど……

 社会的にいいことをしているのだから、善人ということで構わないけど、私も16年近く会社員生活をしていると、すぐ裏を感じてしまうのだからちょっと悲しいf:id:nyoraikun:20190624192548j:image

 朝、家を出る時は、横殴りの雨が降っていたけれど、府中免許更新場を出ると、晴れ間が広がっていた。献血で60名も必要だなんて煽っている。その報酬に神戸ドーナツという書き込みはいらないのではないか。犬や猫ではないのだから、その人の善行に敬意を表した内容に変えるべきだ。

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 愛、十字、普遍的な道徳(キリスト教)、さっきの杉良太郎、このバスのニュアンス、素晴らしい行いだけど、偽善的なにおいがする。私は、ひねくれているなぁ。強くなって、もっと心から善人になりたい!

 

 

 

アラフォー男子の恋心(レジ編)

  いつも買い物にいくスーパーマーケットのチェッカーチーフAさんが、知らないうちに異動していた。サブチーフの頃から数えて、5年間もいたことになる。最初、レジのMさんが好きになって、何度も話しかけていた。真面目で可愛くてロリ系でお姉さんが私の恋心の導火線である。この4つが揃うと、恋愛感情のビックバンが起こる。

  Mさんと話して喜んでいると、それを険しい顔で見ている女性が目についた。それが今回、異動したAさんである。レジで会計を済ましていると、私のことを真直ぐに睨みつけてくるAさんの姿に気づいた。感情をはっきりとストレートに示してくる彼女が眩しく見えた。

知らないうちに、Mさんに言い寄ることで、Aさんに構って欲しいという奇妙な三角関係ができていた。Aさんはそのたびに、怒りが抑えられないというていなのだ。いつぞや、ドアを大げさに強く開けてきた時は嬉しかった。

「夫婦共々60歳を過ぎまして、いつも近くのベルクを利用しております。
先日、チェッカーチーフの方が、見掛けるとすぐに来て、優しく大丈夫ですかと重たい買い物カゴを、カウンターに運んで頂きました。ものごとによく気付くしっかりした気持ちの良い人だと妻も感心しております。レジのスタッフにも小まめにアドバイスをしているのを見かけます。言われたスタッフも楽しそうに笑顔でいて、皆、いい雰囲気で仕事をされているようですね。また、サブチーフの方のストレートな働きぶりに、上京間もない若い頃の情熱を思い出し、涙腺の緩むこともしばしばです。小さい会社を経営していたこともあり、行くたびに頭が下がる思いです。指導が行き届いているのでしょう。気持ちよく買い物をさせて頂いております。話によると、埼玉の方に多くお店があるそうで、中には、千葉から働きに来るスタッフもいると聞き大変だと思いました。けれども、人の心と人の心の触れ合いを大切にするベルクのようなスーパーが、これからもっと多く広まることで、豊かな地域社会を育んでいくことを信じています。頑張ってください!」

と本部の広報課にメールした。折り返し人事部長から喜びのメールがきて、全従業員の励みになりますと長文をいただいた。Mさんがいなくなると、新店に行ったことが、ネットのチラシでわかり、その店に行くことにした。

 サービスカウンターにMさんがいた。若いパートナーさんが聞いてくることに、困った顔をして答えているところだった。新店だから一から教える必要があって大変なのだろう。私の顔を見ると、あれっという表情をしてから、ぱっと明るくなった。幸先がいい。

 新店はどうですか? 慣れていない人達が多いから、大変なことが多いかなというような、当たり障りのない常識的な立ち話をしてから、私は本題に入った。

「両親のこと良く面倒みてくれたじゃん。悲しんじゃってさぁ、菓子の包みでも渡したいわねというから持ってきたよ」

「いりません……」

 警戒心を露わにして、断固たる決意があった。

「ボケているんだよ。親がボケているんだよ。悲しむなぁ。そんな風にしか思われていなかったなんて、辛いですよね」

 辛いですよねという言い方は、女性が感情を込めて口にするような高い声を意識した。ふと警戒を緩めて、彼女が笑った。

「先週の日曜日にも来たんですよ。近くで友人の結婚式があったから……、でも、いなかったんです」 今度は、できるだけ冷めて落ち着いた言い方をした。「でも、グリーンウォークだって大きいじゃないですか? 別にそこでもいいと思うけどなぁ」

 と真面目に話かけると、やはりMさんらしく、挑むようなキツイ眼差しを向けてきた。新店は初めてなんで!

 サヨウナラと菓子の包みを置いて立ち去った。中には手紙を入れておいた。

「新店である座間栗原店への栄転おめでとうございます。新店の広告に顔写真入りでMチーフのことが紹介されていました。高齢の両親も、良く気付く感じのいい人だったのにと残念がっております。私も笑顔がとてもステキな人だったので残念で仕方ありません。
先月、小説『金閣寺』の舞台を巡る旅中で、映画コナンのエンドロールの情景である渡月橋を渡り、小督の局の墓にお参りしました。『平家物語』で身を隠した小督を追う仲国は、「を鹿なくこの山里のさがなれば悲しかりける秋の夕暮」と在原業平が詠んだこの地で、微かに響く琴の音を頼りにありかをみつけることができたとされています。
近くの亀山公園には、百人一首の石碑が、松の木陰、砂利道の道端、茶屋の暖簾下等、無造作に置いてありました。天皇への禁じられた恋心を「鳰鳥の潜く池水こころあらば君に吾が恋ふる心示さね」という歌に表した作者の魂が、800年の時を経て私の心の琴線に触れます。
本日は、驚かせてしまい申し訳ございません。栄転であっても、新店による年末年始は大変だと思います。どうかお身体にお気をつけて頑張ってください。私も頑張ります!」

スーパーに顔を出すと、サブチーフだったAさんがチーフになっていた。私は嬉しかった。彼女は一緒に異動したと考えていたからだ。それから、私はAさんに何度も言い寄った。食事も誘ったこともあるけど、もちろん断られた。38歳と23歳では15歳も年齢が違うのだから、無理なはずだろう。誘ってからスーパーにいけなくなった。また広報部にメールすることにした。

「サービスカウンターを最近までよく利用しておりました。
Mチーフに会うたびに、亡くなって星になった彼氏のことを思い出します。男女の違いはあっても、曲がったことを嫌う感じがよく似ているんです。
繁華街で酒の入る仕事をしていて、ネオン暮らしが長引くほど、気持ちを真っ直ぐ向けてくる人に幸せを感じて弱くなってしまいます。私もグレずにMさんのように生きていたら、今頃、幸せなお母さんになれたのかなぁって思います。
夜の仕事から足を洗って出直そうとした矢先、明るく健気に働くチェッカーの方達に出会いました。ステキにまぶしくて、それがとても羨ましくて、新天地の函館で、彼女達のように頑張りたいです。
大好きなベルクさんは、心と心の触れ合いを大切にした真心ある姿をいつまでも大事に守ってあげてください!応援しています。星に願いを込めて…」

 Mさんに今度の休みに会いに行ってみようか。おそらく海老名にできた新店だろう!

 

 

風俗と性病の確率

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二度、私は性病になったことがある。生来、臆病な私は、感染源である粘膜の接触を恐れて、風俗での遊びは、いつもゴムフェラで通してきた。20代で30回、頭皮が薄くなって破廉恥になったためか、30代では70回ぐらい、主にソープランドに行ったことがある。

 ここは、はてなブログであるから風俗体験記を書くつもりはない。

私が最初、淋病になったのは、明らかな慢心からであった。30代になってからは、ゴムを外して、生フェラをさせたからである。

甲子園での阪神巨人戦を観戦し終えて、夜行バスで新宿駅に帰ってきた。バスの揺れで何度も起こされて、睡眠不足と疲れ、そして嬢の色気のなさから、立ってはふにゃふにゃになってを繰り返したため、彼女の口から淋菌がすり込まれたのだと考えた。膿はでるし、血はでるし、淋菌は、私の末端のデリケートな組織、不吉な仏像の中で、好き放題暴れ回っているようだった。

 最初はむずむずしてかゆいなぁぐらいで、仕事中も、スラックスの上から、手で叩いてみたりした。妙だという気持ちが、明らかに性病だと自覚したのは、4日後ぐらいだった。朝の小便では灼熱感があるぐらいだったのだが、私が仕事をして動くほど、熱くなるほど、血流が激しくなるほど、菌も同様に暴れ回る。次第にトイレに行きたくないから、水を遠慮するようになった。午後6時に終えて、すぐ近くの性病科で診療を受けた。

 尿検査の結果は1週間後、15分の点滴を終えると、以前と同じように尿のたびに痛いけど、希望のもてる痛みと変わった。案の定、翌日から痛みが徐々にひいていって、3日経つと小便時には違和感がなくなる。しかし、勃起する際のきしむような痛みは、1週間続いた。

 看護婦の態度に問題があった。尿のカップを嫌そうに受け取り、まだ診察をするんですか?と医者にたて突いている。痛いんですかねと私の手を荒々しくとって、雑に点滴針を腕にさした。

私は病気なんだぞ! 性欲は男性の普遍的な病状なのだ。性欲と暴力を抑制するところから文明社会の扉が開かれたんだけど、ここまで社会機構が緻密に発展してくると、性と暴力の処理のあり方を真剣に議論すべきではないだろうか?看護婦は自業自得だぐらいにしか考えていない。

 2度目は、ゴムフェラを徹底していたのだが、キスをそれなりにしただろうか? 今度は、軽い痛みが走るが、性病なのかわからないまま、5日経った。早めの受診で先生から処方された薬は、フロモックス錠だ。淋菌性、尿道炎系の薬であった。私は前回の経験から、非淋菌性の薬と読んでいただけに、不信感が募った。1週間飲み続けても効かなかった。

それで職場近くの前回の先生に相談すると、非淋菌性の薬をすぐに出してくれた。副作用が強く、翌日、何度もトイレで下痢をした。ゆっくりと次第に効いてくる。5日ぐらいで痛みが引いた。クラミジアだと今でも思っている。

ヤブ医者医院の検査結果で菌は検出されなかった。病院に行ったのが症状を出てから早く、また水を大量に飲んで何度も小便した後だったから痛みが全くなくて、果たしてこの尿で検査できるのかと訝しかったが、それが現実になった。

 淋菌性と非淋菌性の性病を経験した。どちらも自身の免疫では治せず抗生物質頼みだということ!アレクサンダー・フレミングペニシリンは、奇跡の薬であって、最も偉大な発見の一つであるのもうなずける。こんなに先人の業績に感謝したこともない。私は歴史という大河の水面に浮かぶ葦の一葉である。考えながら流されているに過ぎない。しかし歴史の中に存在する1点ではあるのだ。

風俗に行って性病になる確率は、私の体験から割り出して2%ということにしておこう。

阪神の選手は傲慢か?


阪神ヒーローインタビュー 19/06/21 監督インタビュー付き


2019年5月30日 北海道日本ハム・有原投手・清宮選手ヒーローインタビュー


【エースと4番】今永昇太 筒香嘉智 ヒーローインタビュー 2019/5/2

阪神の選手たちは、どこか傲慢な印象を受ける。特に岩崎の姿には、呆れてしまう。ファンファーストではなく、私達が一番という意識が見え隠れする。阪神の選手というだけで、スター扱いを受けるからこうなるのか? ファンのヤジがひどくてこうなるのか? 阪神、巨人以外の他球団は、ファンサービスをしなければ、球場にお客様が集まらないという危機感が常にあると思う。

球団の広報部が安心しているところから指導をしていないのだろう。文字通り、勝てばいいよといった感じだ。北海道を本拠地に移してから、日ハム広報部の奮闘ぶりはテレビでも紹介されていた。趣味の多様化が叫ばれる現代において、巨人・大鵬・玉子焼きという趣向を与えられた時代から、自ら考え掴みとる時代になってきている。

野球が強ければお客が入るだろうという殿様商売では、いずれ人気に陰りがでてくるだろう。

『アラジン』映画実写版をみて

 映画『アラジン』が封切られ、爆発的なヒットとなっている。先日、劇団四季の『アラジン』を観て、若くて貧しい盗人のアラジンが、王様の娘ジャスミンと結婚するという荒唐無稽な話で、しょっちゅう役者が茶々を入れたり、ふざけたり、おどけたりするので最初は観ていて不安になった。しかし、四季の役者たちの立ち居振る舞い、ダンス、歌、聞いていて心地よい発声法、どれもが洗練されているため、魅入られてしまう。荒唐無稽のテーマをいかに表すかというほど難しい芝居はあるだろうか?

下手糞な役者達でこのミュージカルを上演したら、舞台にバナナの皮が飛んでも文句は言えないほど怒りを買うだろう。

 映画版のストーリーは大方同じようになっている。舞台作品のようなライブ感はないけれど、古代アラビアの街に潜入したような気持ちにさせるほど、リアルな映像であった。アラジンの肩にのっている猿、ジャスミンに懐いているトラの動きがリアル過ぎて、現れるたびに映像にひきつけられる。アラジン、ジーニー、ジャスミンのキャラクターはそのままであるが、悪者ジャファーの権力への野望が真実味を帯びていて、御伽噺を読む気楽さを認めない作者の意図があると感じた。

 ジャスミンが王になる設定には異論がある。これで古代のアラビアを旅しているような夢から醒めてしまった。誰が王になるかなんてボカしておけばいいのではないか。この頃のディズニー映画に登場する女性は、家庭的で淑やかさのあるものを、社会進出を望む強く意思的なものに書き換えるし、ポリティカル・コレクトネスの思想が随所に見える。そのため作品の普遍的価値を損なっているものも多い。

 

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映画館内にハコカラが出来ていた。お一人様需要が増していると、販売士の更新講義で聞いた。1曲尾崎豊の「I Love You」を歌った。ヘッドフォンをしている自分の耳に歌声が響いてくる。2人でやるものではないなぁとやってみて思った。彼女にヘッドフォンをさせて愛を囁くのはいいかもしれない。

 

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カテゴリ
阪神タイガース・プロ野球・スポーツ